見出し画像

引越しにまつわる話

来月中に引越しすることにしている。結婚してから何回引越し、あるいは移動したかを記憶をたどってみる。

福岡県門司市内で2回➡岡山県倉敷市➡兵庫県西宮市➡ヴェネズエラ(妻含む海外長期出張)➡兵庫県西宮市➡兵庫県神戸市➡兵庫県尼崎市内で2回➡そして今回は兵庫県神戸市へ

こうして羅列してみると、計10回となった。個人的な感覚では10回とは、案外少ないなと感じている。

さすがに、妻も高齢の上、股関節も痛めているので、私も、引越しの準備をしているが、「あなたが引越しの準備をするのは、今回が初めてかも知れない」と言われた。

特に、兵庫県西宮市から兵庫県神戸市に引越すときは、私は、急ぎの仕事があったので、会社に出勤していた。手伝いにきてもらった親戚及び知り合いからは噴飯ものでした。

結婚したときに、福岡県門司市で暮らすことになったのですが、神戸市から移動した者としては、居酒屋、食堂、スナックでは周囲の客はプロ野球の応援チームは、全て当時の西鉄ライオンズ一色だったことに圧倒され、隠れ阪神ファンにならざるをえなかった。

小学、中学と鹿児島の離島徳之島で過ごしていた者としては、同じ九州のチームでもある西鉄ライオンズは、嫌いではなかったから不満というものでもなかった。

とはいえ、神戸市に戻ったときは、福岡県の西鉄ライオンズファンを上回る熱狂的な阪神タイガースファンを見て、ホットとしたものである。

野球の話しでいえば、尼崎市なのに、贔屓にしていた居酒屋の主人が福岡県の離島の出身でありながら、熱烈な巨人のファンであり、当然、周りのお客さんも巨人ファンであった。関西地区で、阪神ファンがアウェー状態となった。

忘れもしない、2008年は、岡田監督率いる阪神は、7月9日には巨人に最大の13ゲーム差をつけて首位を独走していたが、巨人に優勝をさらわれた年であった。ある日、その居酒屋のテレビで阪神ー巨人戦が実況中継されていて、阪神は逆転負けをくらい、巨人ファンたちが、歓喜の声をあげて大騒ぎしていたのを、悔しさをかみしめながら眺めていたことがあった。

その責任を感じたのか、岡田監督は、その年に、阪神を去り、今回15年ぶりに、阪神に戻ってきた。くしくも、私は岡田監督で阪神が優勝した2005年の18年前に神戸市から尼崎市に引越してきて、今回は尼崎市から神戸市へ引越すことと妙に符合するのが不思議だ。




この記事が参加している募集

#自己紹介

230,652件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?