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カール・マルクス 著『資本論 』第二巻 第二篇 第七章~第十ニ章 読書メモ

カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第二巻 第二篇 第七章~第十ニ章に目次をつけたものを再掲載します。


第二巻 資本の流通過程

第二篇 資本の回転

第七章 回転期間と回転度数

与え られ た 一 資本 の 総 流 動 期 間 は、その流通期間とその生産期間との和に等しい。それは、一定の形態における資本価値の前貸しの瞬間から、同一の形態における過程進行中の資本価値の復帰に至るまでの期間である。

資本主義的生産の規定的目的は、つねに前貸価値の増殖であって、この価値がいま独立の形態すなわち貨幣形態で前貸しされるか、または商品で前貸しされ、したがってその価値形態は前貸商品の価格においてただ観念的な独立性を有するにすぎないか、には係わりないものである。

そのいずれのばあいにも、この資本価値は、その循環中に種々の存在形態を通過する。その自己自身との同一性は、資本家の帳簿の中で、すなわち計算貨幣の形態で、確認される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4235). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

一個 別 資本家 が、任意の一生産部門で投じた総資本価値は、その運動の循環を描き了ったなら、再びその最初の形態に復していて、いまやさらに、同一過程を繰返すことができる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4313). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

個々 の 事象 として では なく、 周期的 過程 として 規定された資本の循環が、資本の回転と呼ばれる。この回転の継続期間は、資本の生産期間と流通期間との和によって与えられている。この総期間は資本の回転期間をなす。

したがって、それは総資本価値の一循環期の次の循環期に移る間隔を示している。資本の生活過程における周期性を、あるいはそう言いたければ、同じ資本価値の増殖過程または生産過程の更新、反復の時間を示している。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4321). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

労働日 が、 労働力の機能の自然的度量単位をなすように、一年が、過程中にある資本の回転の自然的度量単位をなす。この度量単位の自然的基礎は、資本主義的生産の母国なる温帯のもっとも重要な土地果実が、年一回の生産物であるということにある。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4327). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本家 にとって は、彼の資本の回転期間は、彼の資本を価値増殖して元の姿で回収するためにそれを前貸ししておかねばならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4337). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第八章 固定資本と流動資本

第一節 形態上の区別

不変資本 の 一部 は、不変資本が生産過程に入るときの特定の使用形態を、その不変資本の寄与によって形成される生産物にたいして、保持する。したがってそれは、長短の期間、たえず繰返される労働過程において、たえず繰返して同じ機能を行う。

たとえば、労働用建物、機械等、要するにわれわれが労働手段という呼称のもとに一括するものは、すべてそれである。不変資本のこの部分は、それ自身の使用価値とともにそれ自身の交換価値を失うのに比例して、生産物の価値を引渡す。

この価値を引渡し、すなわち、かような生産手段の価値が、この生産手段の協力によって形成される生産物に移ることは、一つの平均計算によって規定される。

この移転は、その生産手段が生産過程に入る瞬間から、それが全く使い切られて死滅して、同種の新品によって置換えられるか、または再生産されねばならない瞬間に至るまでの、この生産手段の機能の平均持続によって測られる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4345). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

完成 生産 物 は、生産物に転化されたかぎりでの生産物形成要素も、生産過程から突き放されて、商品として生部面面から流通部面に移る。

これに反して、労働手段は、一度生産部面に入った後は、決してそこを去らない。その機能が、それをそこに縛りつけるのである。前貸しされた資本価値の一部は、この、過程における労働手段の機能によって規定された形態に、固定されている。

労働手段が機能し、したがって消耗するにつれて、その価値の一部は、生産物に移るが、他の部分は、依然として労働手段に、したがって生産過程に固定されている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4358). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

この 労働手段 に 固定 さ れ た 資本 価値 部分 も、流通することは他の各部分と変わらない。全資本価値が不断に流通しつつあるものであり、したがって、この意味ではすべての資本が流動資本であることは、一般的には、われわれのすでに見たところである。

しかしここで考察される資本部分の流通は、独特のものである。第一に、それはその使用形態において流通するのではなく、ただその価値だけが流通するのであり、しかも、それがこの資本部分から商品として流通する生産物に移るに比例して、漸次に小部分づつ流通するのである。

その全機能期間にわたって、つねに労働手段の価値の一部は、それの助力によって生産される商品にたいして独立に、この労働手段に固定されている。この特性によって、不変資本のこの部分は、固定資本という形態を与えられる。

これに反して、生産過程で前貸しされた資本の他のすべての素材的構成部分は、この固定資本にたいして、流動資本を形成する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4372). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

ある 労働 過程 から 生産 物 として 出 て くる 使用価値 が、他の労働過程には生産手段として入る。生産手段における労働手段としての、一生産物の機能のみが、その生産物を固定資本とする。

これに反して、生産物がただ一過程から出てきただけでは、決して固定資本ではない。たとえば機械は、機械製造業者の生産または商品としては、彼の商品資本に属する。それはその買い手の手に入って、すなわち、それを生産的に使用する資本家に手に入って、初めて固定資本となる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4419). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

固定資本 および 流動資本 という形態規定は、生産過程で機能する資本価値、すなわち生産資本の回転の差異からのみ生ずる。この回転差異は、また生産資本の種々の構成部分がそれらの価値を生産物から生ずるものであって、生産物価値の生産におけるそれらの関与の差異、または価値増殖過程におけるそれらの特徴的な働き方から生ずるのだはない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4579). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

固定資本 構成 部分 の 回転 は、したがってまたそれに必要な回転期間は、流動資本構成部分のいくつかの回転を包含する。固定資本が一回転する時間中に、流動資本は何回も回転する。

生産資本の一方の価値構成部分がそうして固定資本という形態規定を与えられるのかといえば、この価値構成部分がそれにおいて存在する生産手段は、生産物が完成されて商品として生産過程から突き放される時間で消耗し切れないということのみである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4596). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

固定資本 に 投ぜ られ た 生産資本価値部分は、固定資本を構成する生産手段部分の全機能期間にわたって、全部が一度に前貸しされている。

したがって、この価値は、資本家によって一度に流通に投ぜられる。しかしそれは、固定資本が少しづつ商品に付加する価値部分の実現によって、漸次に少しづつ再び流通から引上げられるにすぎない。

他面では、生産資本の一構成部分がそれに固定される生産手段そのものは、一度に流通から引上げられて、その全機能期間にわたって生産過程に合体されるが、しかしこの機能期間中は同種の新品による置換えを要せず、再生産を要しない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4603). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

流動資本 の 諸 要素 も、 固定資本 の 諸 要素と同時に、たえず生産過程にーーーこれが連続的に行われてあるべきであればーーー固定されている。

しかし、かように固定された流動資本の諸要素は、たえず現物で更新される(生産手段は同種の新品によって、労働力はたえず更新される購入によって)。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4617). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二節 固定資本の構成部分、補填、修繕、蓄積

省略します。

第九章 前貸資本の総回転。回転の循環

生産資本 の 固定 的構成部分と流動的構成部分とは、異なる仕方と異なる期間とをもって回転し、同様に同一事業における構成部分も、その寿命、したがって再生産期間の異なるにしたがって、また異なる回転期間をもつ。エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4961). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

  1. 前貸資本の総回転は、その種々の構成部分の平均回転である。

  2. 生産過程に入る流動資本は、その全価値を生産物に移す。したがって、生産過程が中断なく進行するためには、流動資本は、たえず生産物の販売によって現物で補填されねばならない。生産過程に入る固定資本は、その価値の部分(摩損)のみを生産物に移し、摩損しえも生産過程で機能を続ける。

  3. 前貸しされた生産資本のはるかにより大きい部分が、多年にわたる循環を含む再生産期間、したがって回転期間をもつ固定資本から成っているばあいにも、なお、一年間に回転した資本価値は、一年間に繰返された流動資本の回転の結果、前貸しされた資本の総価値よりも大きくありうる、ということが出てくる。

  4. 前貸資本の価値回転は、その現実の再生産期間、またはその諸構成部分の現実の回転期間から分離される。

  5. 【回転の計算方法について、記述されているが、省略する。】

  6. 資本の種々の部分の回転における現実的および外観的差異。アメリカの経済学者スクロープは、個別資本家にとって、支払期間と信用事情とによって起こる流動資本の特定諸部分の流動における差異を、資本の性質から生ずる諸回転と混同している。彼はこう言っている、労働賃金は、支払われた販売または勘定からの毎週の収入によって、毎週支払わねばならない、と。ここで注意すべきは、

  • 支払期限の長さ、すなわち労働者が資本家に信用を与えねばならない時間の長さに応じて、したがって、賃金の支払期限が毎週か、毎月か、毎三ヶ月か、毎半年か等に応じて、労働賃金そのものにかんして、種々の区別が生ずるということである。

  • 毎週の生産物には、その生産で週労働によって付加された新価値の総体が入るのみではなく、週生産物において消費された原料と補助材料の価値も入る。(中略)労働に支出された資本部分については、貨幣への再転化は、補助材料と原料に支出されあ資本部分のそれと並行して行われる。

    しかし、一方では労働力への、他方では原料への貨幣の再転化は、この両構成部分の特殊の購買期限や支払期限のゆえに別々に行われるのであって、その一方は生産用在庫として比較的長期間において買われ、他方の労働力は比較的短期間において、たとえば一週間ごとに、買われる。

    ここでスクロープが言及している信用制度は、商業資本と同様に、個々の資本家にとっての回転を変化させる。社会的な規模でそれが回転を変化させるのは、それが生産のみではなく、消費をも促進するかぎりにおいてのみのことである。
    エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4964). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第十章 固定資本と流動資本にかんする諸理論。重農学派とアダム・スミス

ケネー に あっ ては、 固定資本 と 流動資本 との区別は、原前貸と年前貸として現われる。彼がこの区別を、生産資本すなわち直接的生産過程に合体された資本の内部における区別として述べているのは正しい。

彼にとっては、農業に充用される資本が、したがって借地農業者の資本が、唯一の現実に生産的な資本と見なされるのであるから、これらの区別も、借地農業者の資本についてのみ生ずる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5105). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

社会にとっては年前貸と多年前貸との区別は、依然として重要で、多くの経済学者がアダム・スミス以後にさえも、この規定に立返っているほどである。

両種の前貸しのあいだの区別は、前貸しされた貨幣が生産資本の要素に転化されたときに初めて生ずる。それは、ただ生産資本の内部においてのみ生ずる区別である。

それゆえ、貨幣を原前貸なり年前貸なりと考えることには、ケネーは思いつかないのである。生産上の前貸しとしてはーーーすなわち生産資本としてはーーーこれら両種の前貸しは、貨幣にも市場にある諸商品にも対立している。

さらに、生産資本のこの両要素の区別は、ケネーにおいては正当に、それらが完成生産物に価値に入る仕方の差異に、したがってそれらの価値が生産物価値とともに流通させられる仕方の差異に、したがってまた、一方に価値は年々全部補填され、他方の価値はより長い期間に少しづつ補填されるという、それらの補填または生産の差異に、還元されている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5114). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.                                                                                        【しばらく、アダム・スミスへの批判が続く】
固定資本 として 前貸し さ れ た 資本 価値は、流動資本として前貸しされた資本価値と同じに、生産物のよって流通させられ、そして、前者が商品資本の流通によって貨幣資本に転化されることも、後者と同じである。

ただ、前者の価値は部分的に流通し、したがってまた長短に期間中に部分的に補填され、現物形態で再生産されねばならない、ということからのみ区別が生ずる。

ここでアダム・スミスが流動資本と言うのは、流通資本を、すなわち流通過程に属する諸形態のおける資本価値(商品資本と貨幣資本)を指すにほかならないということは、彼によってとくに不手際に選ばれた例がこれを示している。

彼は、決して生産過程に属するのではなく、流通部面にのみあり、流通資本のみから成る資本種類を、すなわち商人資本を、例に挙げているのである。(中略)アダム・スミスは一方では重農学派的区別を考え、他方では資本価値がその循環中に通過する形態区別を考えている。そして両者がごちゃまぜになっている。

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5212). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 資本 と 貨幣資本 は、 生産資本 の 固定 的 構成 部分の価値の担い手であるとともに、流動的構成部分のそれでもある。いずれも生産資本にたいする流通資本ではあるが、固定資本にたいする流動資本ではない。

利潤が固定資本によって得られるのは固定資本が生産過程に留まるからであり、流動資本によって得られるのはそれが生産過程を去って流通させられるからである、という全く間違った説明によっては、ーーー可変資本と不変資本の流動的構成部分とが回転においてもつ形態の同一性のために、価値増殖過程と剰余価値における両者の本質的区別が隠蔽され、したがって、資本主義的生産の全秘密がますます不明にされる。

流動資本という共通の称呼によって、この本質的区別は廃棄される。(中略)可変資本と不変資本との対立ではなく、固定資本と流動資本との対立が、本質的なものであり、唯一の区別の仕方であるとして固執されたのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5366). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

労働力 が 市場 で 流通 し て いるあいだは、それは資本ではなく、商品資本のいかなる形態でもない。労働力は決して資本ではない。労働者は資本家ではない、彼は一つの商品を、すなわち自分の肉体を市場に持って行くのではあるが。

労働力が売られて生産過程に合体されたときに、ーーーしたがって商品として流通することをやめた後に、初めてそれは生産資本の構成部分となる、すなわち、剰余価値の源泉としては可変資本となり、労働力に支出された資本価値の回転について見れば、生産資本の流動的構成部分となる。

アダム・スミスは、ここでは流動資本を商品資本と混同しているので、労働力を、彼のいう流動資本の項に入れることができない。それゆえ、可変資本はここでは、労働者はその賃金で買う諸商品の形態で、生活手段の形態で、現われる。この形態で労働賃金に支出された資本価値は、流動資本に属するものだというのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5563). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

アダム・スミスによって、流動資本 なる 規定 が 労働力 に 支出された資本価値の決定的なるものとして固定されたことーーー重農学派の前提のないこの重農学派的規定ーーーによって、スミスは、彼の後継者たちが労働力に支出された資本部分を可変資本として認識することを不可能にすることに成功した。他の個所で、彼自身の与えたより深い正しい諸説明は、勝利を得なかったが、彼のこの謬見は勝利を得た。

それでここでは、その後の著述家たちはさらに歩を進めて、流動資本ーーー固定資本にたいするーーーであるということを、労働力に支出された資本部分の決定的規定となしたのみでなく、労働者のための生活手段に支出されるということを、流動資本の本質的規定となしたのである。

当然これに関連して、生活必需品からなる労働原本は一定量であるそれは、一面では、社会的生産物における労働者の分け前に限界を物理的に限定し、他面では、また労働力の購入に際して、この分け前の全量に応じて支出されざるをえないものである、という学説が行われたのである。

【私見:資本主義の祖として、崇められている、アダム・スミスであるが、この章では、徹底的に、ダメ出しされていた。資本家が、労働賃金については、出ししぶり、雇用については、安価な派遣社員を受入れ放題とする政策となったのは、竹中平蔵ではなくて、アダム・スミスに原因があるということを、マルクスは教えてくれている。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5752). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第十一章 固定資本と流動資本にかんする諸理論。リカード

リカード は、 価値法則の例外を説明するために、すなわち労働賃金の率が物価に影響を及ぼすばあいを説明するために、固定資産と流動資本との区別を持ち出しているにすぎない。このことについては第三巻に入ってから述べることにしよう〔第三巻第十一章〕

しかし元来の不明瞭さは、次のような無造作な併置に初めから現われている。

固定資本の耐久度におけるこの差異、および二種の資本が結合されうる比率におけるこの変化

リカード『経済学原理』25ページ

そこで、二種の資本とは何かという答えを聞くと下記の通りだ。

労働を維持すべき資本と、道具、機械装置、建物に投ぜられている資本とが、種々に組合わされうる比率も

同上

すなわち、固定資本は労働手段であり、流動資本は、労働に投ぜられている資本である。すでに、労働を維持すべき資本というのが、アダム・スミスから受継がれた愚劣な表現である。

一方では、流動資本が可変資本と、すなわち労働に投ぜられた生産資本部分と、混同されている。

また他方では、対比が価値増殖過程からーーー不変資本と可変資本ーーーではなく、流動過程から取られている(前からのスミス的混乱)ので、二重に誤った規定が出てくる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5769). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

ここ で 注意 さ れる べき は、 資本家 は 労働 賃金に投ぜられた資本を、種々の期間について、たとえば、彼がこの賃金を毎週支払うか、毎月支払うか、毎三ヶ月支払うかにしたがって、経済学の用語で言えば、前貸しするということである。実際には事柄は逆である。

労働者が支払いを受けるのが毎週であるか、毎月であるか、毎三ヶ月であるかにしたがって、彼が資本家に自分の労働を一週、一ヶ月、または三ヶ月のあいだ前貸しするのである。

資本家が労働力に賃払いするかわりにそれを買うのであれば、すなわち一日分、一週間分、三ヶ月の労働賃金を労働者に前払いするのであれば、これらの期間についての前貸しと言ってもよいであろう。

しかし資本家は、労働を買ってそれが継続すべき期間について支払うのではなく、労働が数日、数週、数カ月続行された後に支払うのであるから、すべては資本家的な取違えであって、労働者が資本家に労働をもって与える前貸しが、資本家が貨幣をもって労働者に与える前貸しに変えられているのである。

【リカードともあろう経済学者が、子供でも分かることを、間違えるとは、にわかには、信じられない。労働者は、自らの肉体を資本家に一定の期間に、労働力という名の商品を、無料で貸出しているという事実を、ねじまけるとは!

少し、脱線する。当方は、何回か、会社を移動したが、一度だけ、賃金前払いの会社に就職したことがあった。その時は、助かったという気持ちはあったが、辞めた後に、賃金後払いの会社に転職すると、1ヶ月以上収入無しという苦い思いをした記憶がある。】

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5814). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 の 生産過程 で 支出 さ れる 所与 の 価値 は、労働賃金として支出されるにせよ、原料の価格または労働手段の価格として支出されるにせよ、いかにして生産物に移されるか、したがって、生産物によって流通させられ、生産物の販売によってその出発点に復帰させられるか、すなわち補填されるか、である。

ここでは、「いかにして」という点に、この価値の移転と、したがってまた流通の特殊な仕方に、唯一の区別がある。

あらゆる ば あい に、 契約 によって あらかじめ定められた労働力に価格が、貨幣で支払われるか、生活手段で支払われるかは、一定の与えられた価格であるというその性格を、少しも変えるものではない。

しかし、貨幣で支払われる労働賃金のばあいには、生活手段の価値のみではなくその素材もまた生産過程に入るのとは異なり、貨幣そのものが、生産過程に入るのでないことは明らかである。

しかし、労働者がその賃金で買う生活手段が、直接に流動資本の素材的態容として原料その他といっしょに一つの部類に入れられて、労働手段に対置されるならば、それは事柄に別の外観を与える。

これらの物、すなわち生産手段の価値が、労働過程で生産物に移されるとすれば、他方の物、すなわち生活手段の価値は、それを消費する労働力に再現し、労働力の活動によって、同様に生産物に移される。

すべてこれらのばあいに等しく問題とされているのは、生産中に前貸しされた価値の、生産物における単なる再現である。(中略)

生産手段と生活手段の態容で生産に前貸しされた資本価値は、ここでは等しく生産物の価値において再現する。かくして、資本主義的生産過程の完全な神秘化が無事に成就され、生産物中に存在する剰余価値の起源は、全く隠蔽されるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.5999). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第十ニ章 労働期間

等しい 大き さの 労働日、 たとえば、10時間労働過程をもつ二つの事業部門、木綿紡績と機関車製造とを例に採ろう。

  • 木綿紡績:毎日、毎週、一定量の完成生産物、綿糸が供給される。生産物は不連続性のものであって、毎日または毎週、同じ作業があらためて開始される。

  • 機関車製造:一個の完成生産物、一台の機関車を製造するためには、おそらく三ヶ月にわたって、労働過程が反復されねばならない。労働過程が連続的で、より多数の日の労働過程を包括していて、それらの結合により、それらの作業の連続性によて、より長い期間の後に初めて、一個の完成生産物を供給する。

ここでは日々の労働過程の長さは同じであるにかかわらず、生産行為の長さには、すなわち、生産物を完成し商品として市場に送るために、したがって生産資本から商品資本に転化するためにな反覆される諸労働過程の長さは、著しい差異が生ずる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6093). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

われわれ が 労働日 と いう ば あい には、労働者がその労働力を毎日支出せねばならない労働時間、すなわち、彼が毎日労働せねばならない労働時間の長さを意味する。

これにたいして労働期間と言うばあいには、一定の事業部門で一完成生産物を供給するに必要な相関連する諸労働日を意味する。

このばあいには、各労働日の生産物は、一つの部分生産物にすぎないのであって、それがさらに毎日仕上げられていって、労働時間の長短の期間が終わったときに、初めてその完成態容を与えられ、一つの完成使用価値となるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6138). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

労働 期間 の 著しく 長い 大規模 な 仕事 の 遂行が、完全に資本主義的生産のものとなるのは、資本の集積がすでにきわめて顕著となり、他面では、信用制度の発達によって、自分の資本のかわりに他人の資本を前貸しし、したがって危険に曝すという好都合な手段が、資本家に与えられるようになってからのことである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6227). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

労働 期間 を 短縮 する 諸 方法 は、 産業 部門 によって甚だしく程度を異にしてのみ応用されうるものであって、種々の労働期間の長さに差異を平均するものではない。(中略)

紡績における諸方法の改良によって、毎日または毎週供給される完成生産物が比較にならないほどより急速に増加されるならば、機関車製造における労働期間の長さは、紡績に比較すれば、やはり相対的には増大したわけである。

【私見:映画「モダンタイムズ」でチャップリンの労働者役では、ベルトコンベヤーから流れてくる機械品にボルト締めする作業で振り回される場面を、ユーモアをまじえて演じていた。今では、そうした作業も、人間の手を加えることなく、全て、機械で自動運転で生産されている。つまり、労働期間は、大幅に短縮され、かつ効率的に、大量生産され、より正確な製品が仕上がるとうにになっている。

これは、製造業のことではあるが、医者、弁護士、経理士等の部門でさえ、生成AIを活用することによって、自動化されてしまうという極面になっている。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6303). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.



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