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イギリス経験論について

今まで、ほとんど大陸合理論哲学を扱ってきたが、今回は初めて、イギリス経験論を勢力尚雅共著『経験論から言語哲学』に基づいて学びます。

経験といっても、哲学的思考としての「経験論」と、エートスとしての「経験主義」は区別する必要がある。

エートスとしての「経験主義」とは、日々の経験について反省する実践を通して、何かを学び、その学びで得たことを生かそうと試みる、習慣化された態度をさすという。

会社で務め始めたころは、先輩の指摘や、仕草を真似るなどを経験して、徐々に技術を学んできたが、こうしたものを「経験主義」というのでしょう。

そうして仕事をしている中で、失敗があったときは、それを反省し、二度と失敗しないように試みるが、習慣化された態度自体についてまで不断に反省し続けることは容易ではなかった。

それには、工夫が必要である。そして「イギリス経験主義」と呼ばれる一群の哲学的言説は、経験主義的なエートス自体や、それが生むもの、そして、それを励ます工夫の形を問い直しながら、多様な言葉を紡いできた。

何故、イギリスでこうした試みが盛んになったのかについて、文芸評論家である吉田健一氏は次のように語っている。

イギリス人は, 無常な生をただはかなむことも、 理念や目的に縛られることも斥け, 生 に堪えるための 「生活の智慧」 を求めてきた。 「生活上の必要 或は生 活とのつながりにおける心地よさ」 を探すことを通じて、 イギリス人は, 水洗便所を発明し, 文学, 建築, 庭園, 生活様式, 風俗などを洗練して きた。 不愉快を減らすためにつくられてきた数々の道具 (それには言葉 や生活様式も含まれる) を, 受け継ぎ 洗練していく仕事を通じて、 人 間と道具のあるべきかたちを模索してきた。

『経験論から言語哲学』P12

しかしながら、イギリス人に、このような経験主義的なエートスがあったにしても、様々な困難があったに相違ない。それにもかかわらず、克服してきたのは、対立する思考である大陸合理論との切磋琢磨を通して、経験主義的なエートスの哲学的反省としてイギリス経験論が活発化し、多様な展開を遂げたからです。

そこで、まずイギリス経験論の対極にある大陸合理論の思考法の代表とされるデカルトが展開した議論を取り上げる。

合理論の考え方の特徴は、「あることについて自分は何かを知っている。それは、経験によって得た知識ではない。それは理性や直観によって、よりはっきりと把握することができる。経験とは、そのような理性に基づいて理解されるものである」と考える点にある。

同上P15

デカルトの方法は、「要素還元主義」と呼ばれ、経験を可能なかぎり細かい要素に分解し、個々の要素をデータ化し、データ化された要素間の因果関係をモデル化して経験を理解しようとする方法である。

現代物理科学は、物質をミクロの素粒子クォークにまで分解し続けて、これ以上分解不可能な距離(プランク距離=1.6x10マイナス30乗m)近くにまで達している。これなどは、典型的な「要素還元主義」ということでしょう。

「要素還元主義」とは、「複雑なものも、それを構成する要素に分解していけば、要素間の因果関係も理解できて、その複雑な物の全体も判明できる」という「機械論的全体観」です。

現代も科学万能の時代であり、この「機械論的全体観」の有効性や絶対性を信奉している人は多い。プランク距離以下の分解できない領域は無視(無)ということです。

前置きが長くなり過ぎたので、ロック、バークレー、ヒュームなどの哲学者の考え方は次回からとします。

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