見出し画像

帰謬法もどきの論破術を解体するには

無敵の論破と言えば、ひろゆきさんですね。ネットを見ると、小学生でも論破が流行っているそうですが、人気者のひろゆきさんの影響でしょうね。

哲学の歴史は、論争の歴史でもあるので、相手を論破するための議論術は、非常に洗練されてきた。古代インドの哲学者たちは論争で負けると死ななけれればならないことになっていたらしいので、それこそ、命がけの論争となったようです。

論争するための技術として、帰謬法という方法がある。帰謬法とは、典型的には、はじめにいずれかを正しいとする二項を措定し、つぎに一項に論理的矛盾あるいは不可能を論証することによって、他方の結論の正しさを導くという方法である。

オーム事件のときの責任者上祐 史浩は、記者団からの質問に対して、ああ言えばこう言うを、延々と繰り返していたので、「ああ言えば上祐 (じょういう)」と揶揄されたが、これは帰謬法そのものというより、ただ反論するために利用しているだけで、帰謬法もどきと言って良いでしょう。

ある主張を述べると、直ちに「人はそれぞれ考え方は違うでしょう」「それは、あなたの感想でしょう」と切り返してきて、ただの上げ足取りか、論破するのが目的というのも、帰謬法もどきでしょう。

こうした帰謬法もどきで、相手を論破するのは、何でも可能となってしまい、論争が成立しなくなる。現実に、ひろゆきさんは、この帰謬法もどきで、相手方をすべて論破したということになっている。

哲学者苫野一徳氏は、こうした帰謬法もどきの論争ばかりでは、お互いの共通了解を得ることは、できなくなる、と主張している。しかし、この帰謬論もどきを、徹底的に、解体できる方法があると述べている。

実は哲学の歴史は、ある意味ではこの帰謬法との戦いの歴史だったともいえる。哲学史には、要所要所で強力な帰謬論者たちが現われているが、次の時代のすぐれた哲学者によって、その論理を封じてきた、という。

その最初の道を切り開いた人として、17世紀フランスの哲学者、ルネ・デカルトをあげていたのは、意外だった。彼の有名な言葉に、「我思う、ゆえに我あり」というのがあるが、これが帰謬法を封じるためだというのである。

デカルトは、次のようなことを言っている。
《帰謬論者たちが言うように、たしかにあらゆる命題は否定可能だ。疑い反駁することができる。だが、どれだけ疑い否定しようと思っても、最後の最後までどうしても疑えないものがあるじゃないか。それは、一切を疑っている、この”わたし”自身である。世界を疑っているのが”わたし”である以上、この疑っている”わたし”自身の存在は、どうがんばっても疑うことなどできないじゃないか》

「たしかなものなど何もない」という、帰謬法を駆使する人たちがはびこっていたこの時代、デカルトは、この言葉でもって、彼らの論法をひっくり返したのである。

なるほど、こうした文脈で「我思う、ゆえに我あり」という言葉が使われたのであれば、納得がいく。

デカルトは、この”わたし”も疑える可能性があると批判されることを想定済みだったので、”わたし”を身体と精神とに分ける「心身二元論」を主張した。だが、これに納得できる人はそう多くはなかった。

それから300年、デカルトの哲学を批判的に継承し、この問題にケリをつけたのがフッサールである。フッサールは、こう言う。

「どんな帰謬論者や懐疑論者といえども、今われわれに、何かがたしかに”見えてしまっている”ということを、われわれには、どれだけ疑っても疑えないものがある」

フッサールは、デカルトが言うような、実体を持った”わたし”ではなく、世界がこのように「見えてしまっている」「感じられてしまっている」という”意識作用”のことを疑いえないだろうと言っているのです。

帰謬論者は、「このカップは存在しないかもしれない」と言うことができたとしても、「自分にはこのカップが見えていない」と強弁することはできないのである。もし、このことさえも反駁する人がいるとすれば、もはや議論する余地がない人と見なして、その場を離れることしかないでしょう。

帰謬法には、どんな議論も「真か偽」の対立に持ち込み、その上で相手の主張が「偽」であること、あるいは「真」とはいえないことを論証するというカラクリがある。

苫野氏は、こうした二項対立的な問いの立て方自体が間違っていると言う。

「この人はやさしい人だ」という主張や、「この学校はいい学校だ」という主張も、帰謬論者にかかれば全部相対化されてしまう。  

でも、それはあくまでも「真か偽か」というレベルで議論をしている場合の話だ。(中略)

僕たちにはそもそも「真理」なんて分からない。つまり、帰謬論者にいわれなくても、あらゆる命題は「真」とはいえないなんてことは、哲学的には織り込み済みの前提なのだ。

そうである以上、ある命題がが「真か偽か」なんて、はっきりいってどうでもいい問題だ。いっさいは僕(たち)の〝確信〟や〝信憑〟だ。だから「真か偽か」という問いは、そもそも問いとしてなり立たないのだ。

苫野一徳. はじめての哲学的思考 (ちくまプリマー新書) (p.75). 筑摩書房. Kindle 版.

苫野氏は「〝確信〟や〝信憑〟を抱いてしまっていること自体は疑うことはできない」と述べている。

もちろん、その〝確信〟や〝信憑〟が、勘違いだったとか、いつかは変わってしまうということはある。だが、その時点で「この人はやさしい人だ」と感じてしまったそのこと自体は、否定することはできない、と述べている。

だから、問いを「これがわたしの確信です。ではあなたはどうですか?」に変えるべきだというのです。

哲学は、ある命題が「真か偽か」を明らかにするものじゃない。〝確信〟や〝信憑〟を問い合うことで、”共通了解”を見出し合う営みなのだ、というわけです。

”共通了解”にも、絶対的な了解はないが、これはあくまで、相手との間に了解が得られたという、間主観的な”確信”や”信憑”というものです。

相手との間主観的な”共通了解”から複数の人、多数の人へと”共通了解”が拡大していけば、より「真理」に近づいていくことでしょう。

さて、この”確信”や”信憑”をわれわれはどのように抱くのだろう?

それは、「われわれ自身の欲望に応じて」だ、と苫野氏は述べる。

学校や仕事、家庭など、われわれは日常生活のさまざまな場面で、日々信念の対立に遭遇する。

「俺の考えは絶対に正しい、お前は絶対にまちがっている!」なんていう暴言をしばしば妻に対して向けたことがあります。

これは、「そうして欲しい」や「そうなって欲しい」という単なる私の欲望から出た言葉であったことがほとんどだった。

たとえば、学校は子どもたちをびしっと統率しなければならないとする親や教師がいて、その一方で、学校は子どもたち一人ひとりの自由や自主性をできるだけ尊重しなければならないと考える人たちとの信念を持つ両者が対立することがあります。

こんなときは、この信念の次元対立を続けるかぎり、両者が理解することはかなり困難なことになるでしょう。

こうした場合は、信念の対立は止め、お互いの信念が、いったいどのような欲望や関心からきているのか、互いに吟味することだ、と主張する。

たとえば、集団統率をよしとする教師は、かつて学級閉鎖に苦しんで、そんな経験はもの二度とごめんだと思っているかもしれない。だから統率力を発揮して、子どもたちをまとめ上げ、校長や保護者からその指導力を認められたいという欲望を持っているかもしれない。

他方、子どもたちの自由や自主性を尊重すべしと考える人は、子どもの頃集団統率的なクラスになじめず、孤独な思いを抱えた経験があるのかもしれない。だからそんな疎外感を、今の子どもたちに味わわせたくないという欲望があるのかもしれない。

苫野一徳. はじめての哲学的思考 (ちくまプリマー新書) (p.87). 筑摩書房. Kindle 版.

このように、お互いの信念には、欲望が絡んでいるのです。この信念は実は欲望の別名だ、という。

だから、信念対立の現場においては、われわれはそのことを十分に理解し合う必要があり、そうすれば、お互いの欲望については分からなくもないよと理解を示し合えるようになるでしょう。

そこでさらに重要なことは、お互いにそうした欲望や関心が、本当に妥当かどうかを吟味することだ、と述べている。

たとえば、「自分の統率力を認めさせたい」という欲望は、本当に子どもたちのためになっているといえるのか? 「孤独を感じさせたくない」という思いは、本当は独りよがりな欲望にすぎないじゃないか?というようなことだ、というわけです。

この吟味を通して、徐々にお互いが納得し合える”共通関心”へと近づいていく可能性がある、ということなのです。

もちろん、実際の信念の対立の現場では、とりわけ感情が邪魔をして、事はそう簡単に進まないだろうが、真剣に信念に対立を乗り越えたいと思うならば、お互いの欲望や関心に次元にまでさかのぼり、その上で、お互いが納得できる共通関心と、それを叶えるためのよりよい第三のアイデアを見出しあっていくべきなのだ、と苫野氏は強調しています。

釈迦のように、欲望を滅した人たちだけであれば、信念もないので、対立もありえないのであるが、そうはいかないのが、現実の普通の人間のありようです。そうした実情であれば、苫野氏が主張するようなことが正論ではあるでしょう。これとても、大変難しいことではあるが........。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?