見出し画像

ルソー著『エミール』について(2)

第二章 「好奇心」と「有用性」が人を育てる

事物から学ぶ消極教育ーーー第二編 児童期・少年前期

第二編では、口がきけるようになってから12歳くらいまでの長い時期を扱います。

口がきけるようになってしばらくすると、子どもには「自分」の意識というものが出てきます。だからこの時期は、人生の第二期のはじまりだとルソーはいいます。

ルソーの考えで面白いのは、現在を無視する教育への批判です。不確実な未来のために現在を犠牲にする残酷は教育はよくないと述べているのです。

【「今」を生きるとか、「この瞬間」を楽しむという考え方は、すんなり若いころから受け入れてきた。逃げ口上に使うことに便利だったからだろう。】

このような考えに対して、やはり将来が大事だとする異論が多くの人から出てくるだろうが、人間のもつ「先見の明」(未来を予見する能力)がかえって人間を不幸にすることがあるとルソーは言う。

実は第三篇では、未来を予見する能力も生かさなければならないとも述べているが、この段階ではマイナス面を特に強調している。

感覚と運動の訓練

子どもは色々な物をいじくりまわします。それから、泳ぐこと、走ること、飛び跳ねることなど、機械的な運動によって体を鍛えます。

ルソーはそのさい、同時に「力を指導するすべての感官」、つまり眼や耳などの感覚器官を訓練し、さらにはそれぞれの感覚を比較したりすることが大切だと述べている。

この二編について、西氏は二つの論点を提示している。

  • 一つ目が、自由な活動ができるためには依存が必要だということ。つまり見守ってくれる教師がいるからこそ、エミールは安心して心ゆくまで野原で遊んだりできるというわけです。

    ルソーは、なんでもできて他人に頼らないのが自立であり自由なのだと述べているわけではない。

    しかしながら、頼れるところがあって、はじめて人は自由に自分の力を発揮することができる、という視点がルソーにはないように思う。

  • もう一つの論点は、「ほめられる快」をどう見るかということ。ルソーは、競争心が人を堕落させると考えているので、「ほめる」とか「評価する」ということを避けようとする。
    【アドラーも、子どもを褒めてはダメだと述べていたので、へ~そうなんだと、驚いたことがあった。】

    しかし人は、他者からの承認を必要としますし、それはまた大きな悦びでもあります。

    無条件な愛情的承認がベースにあったうえで、小どもが力を注いでいることに対して「今回はよくがんばったね」と評価的承認をしてあげることも大切だと、西氏は考えている。

「好奇心」による研究ーーー第三編 少年後期

第三編は、12歳ないし13歳から15歳までを想定している。ルソーはこの時期を「研究」の時期と呼んで、エミールにさまざまなころを考えさせようとします。

体系的な学問というのは論理的なつながりによって、つまり「真理の連鎖」でできています。大人はそれによって体系的な知識を得ますが、子どもの場合は知識をあらかじめ体系的に教えるよりも、生活のなかでの観察から好奇心によって問いが生まれ、その答えが発見され、またその過程で新たな問いが生まれていく。このように好奇心による問いの連鎖が大切だということです。

「有用なもの」の学習

ここでは、第二編ではその害が説かれた「先見の明」の働きをうまく使うことで、「これを知ると将来役立つこと」、つまり有用なものを学習することになる。

この時期の子どもは、「それが何の役に立つのか」という問いをする。この問いに教師がちゃんと答えることができなければ、教師は子どもの信頼を失ってしまうだろう、とルソーは言う。

だが、子どもにはまだ経験が不足しているので、有用性を大人が理屈を並べて説明してもなかなか通じないことも多い。

そこで、教師は、エミールと二人で森を散歩し、道に迷った時、不安と空腹の中、太陽の位置をもとに自分たちの場所を割り出し、無事に戻ってこられたということを実際に経験することによって、天文学の有用性を気づかせたのです。

子どもを言葉に押し込めないため、教師は読書さえ積極的に勧めていなかったが、この有用性の教育の段階にきて、ようやくエミールに人生で初めての本『ロビンソン・クルーソー』を与えます。

エミールはこの物語に夢中になる、ロビンソンになったつもりで、いわば思考実験による想像上の島を自分でつくります。それはエミールにとって大切な、「幸福な時期の空中楼閣」となるのです。

社会関係を知る

ここでは道徳的なことではなく、社会というものが分業によって、つまり「相互依存」の関係で成立っていることをエミールに学ばせようとします。

教師は、エミールに分業と交換について教えるために「10人社会」というイメージを提示します。

たとえば、10人の人がいたとして、それぞれの人に10種類の必要なものがあるとする。

それぞれの人が、10種類のものをつくるより、分業によって、それぞれが自分の得意とするものをつくって、他の人がつくったものをもらうことによって、全員が必要なものを満たすことができます。

つまり、自分ですべての仕事するよりも、10人で仕事を分け合って、その成果を交換しあうほうが効率的だし、生産力も上がり、豊かなものが手に入る。そうしてお互いが協力し合いながら生きているのがこの世の中なのだということを、教えているのです。

この「10人社会」における分業のイメージは、古くはプラトンの『国家論』にもあるし、ルソーより10歳ほど年下の経済学者アダム・スミスにもつながっていきます。

参考図書:西 研.著NHK「100分de名著」ブックス ルソー エミール


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?