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三田誠広著『桓武天皇』読了しました

昨日読了した三田誠広著『桓武天皇』について、感じたことを書きます。

図書館から借りた本にしては、汚れや傷みが目立っていた。中古本を購入した本と比べても、酷いものです。

そのせいでもないだろうが、最初は、微々たる速度でしか読むことができなかった。まず、次々と登場してくる人物の相関関係を簡単なフローチャートに纏めてみる作業をしつつ読んでいたので、中々ページを進めることができなかった。

それでも、日にちを重ねるごとに、面白さが伝わってきて、読む速度も増してきた。

さて、本書のあらすじですが、主人公の山部王(桓武天皇)の出生から天皇に即位するまでの過程で悲喜こもごもの出来事を描いた物語です。

父親の白壁王(光仁天皇)は天皇の血筋を引継いでいるので、天皇になるのは何も問題はないのですが、母親は渡来の百済の血筋であることから、天皇となるのは、極めて困難でした。これは、現在においても同様のことから類推できます。ところが、種々の幸運と偶然性によって、天皇即位が可能となったのです。

桓武天皇と言えば、先日アマゾンプライムで観た映画「空海」(1984年公開)で丹波哲郎が演じる桓武天皇の姿が頭にこびりついて離れません。

映画の最初の場面では、桓武天皇が遷都のため京都に移動中の輿から少年時代の空海に声をかけるシーンがあった。

一方、本書の巻末では、桓武天皇は渡唐前の空海を招いて空海の真意を問いただしていた。

桓武天皇が実際に感じていたのか、作者三田氏の意見なのかは分からないが、空海は、天皇の望みを叶えることができる人物として描かれている。

天皇が最も信頼している側近の清麻呂に次のような依頼をします。

「わたしは先年、わが曾祖父の天智天皇が築いた近江国大津の地に、梵釈寺(ぼんじゃくじ)という寺院を建立した。邪教に堕した平城の僧侶どもとは異なる新たな寺を築きたかったからだ。梵釈とは、梵天と帝釈天、仏の布教を勧請した天竺の神々だ。 われにも梵釈の助けがあればとの祈りを込めた寺である。幸いにして、 征夷軍の将軍には、坂上田村麻呂という英傑が現れた。わが願いが叶うな らば、行基のごとき偉大な禅師が出現して、民を導き、励ましてはくれぬか。清麻呂よ。 そなた は造宮職大夫という重責を負った身ではあるが、あと一つ、頼みがある」

清麻呂は無言で、天皇の言葉に聴き入っている。

「頼みとは他でもない。この時代の行基を、そなたが捜し出してほしい。 総国分寺に定められた 東大寺が、全国の寺院を管理いたしておるが、いまでも各地の山岳では、修験者たちが修行を積 んでおるはずだ。 行基もまた寺院に属さぬ民間の修行者であった。この国のどこかに、新たな行 基がおって、秘かに修行を続けておるやもしれぬ。 そなたには神の声が聞こえるのであろう。 神でも仏でも、あるいは鬼神でもよい。聖はいずこにおられるのか、お告げを受けてほしい」

こうした天皇の依頼を受けて、清麻呂は最澄を薦めた。最澄は比叡山で修行中であったために、最澄が現われたときには、亡くなっていた。

天皇は伯父でもある神王に最澄のことをどう思うのかと尋ねてみると、「最澄は学僧としては優れているが、学識に偏っており、行基のように、民を率いて土木工事を推進するような人物には見えない」という意見だった。この意見には、天皇も同意する。空海との会話で、空海こそが行基に等しい人物だと感じていたからでしょう。

空海が唐で密教を学んで、帰国したときには、すでに天皇は崩御していた。

崩御する前に、桓武天皇の最後の仕事として、最澄の天台宗を正式の宗派として認め、公認の出家者として年に二名の得度を認める旨の許諾を与えた。

桓武天皇崩御後に天皇に即位した平城天皇は空海を全く理解せずに、無視し続けていたことは映画「空海」に描かれていた。

タラレバの話しとはなりますが、天皇と空海の出会いが、2年ぐらい早ければ、もしくは、桓武天皇が2年ほど生き延びていたならば、歴史も変わっていたことだろうと推測しています。


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