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戦争責任について

柄谷行人著『倫理21』の読書メモはすでに投稿済みですが、戦争責任という、大変重たい部分は避けていた。

だが、世界では、現在でも、戦争が発生しており、また台湾有事だと騒ぎたてて、戦争を誘導しようかという勢いの連中もいるので、戦争責任について触れてみることにした。

日本は、世界第二次世界大戦から78年間戦争を行っていません。ところが、世界では、主なものでも朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東1次~4次戦争、イランーイラク戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争、そして、直近でも、ロシアーウクライナ戦争、ハマスーイスラエル戦争が勃発しています。

戦争すれば、大量の死者がでる。特に、ハマスが仕掛けたと言われている戦争でガザ地区では、非戦闘員の子ども、女子ですら、イスラエルの報復攻撃で多数虐殺されていることが、報道されている。

明らかな戦争犯罪であり、国連もそれを認めて、戦争一時停止を国連会議で勧告しても、アメリカは拒否するというこの悪神を背負ったような、人間とも思えぬ所業はとても信じられるものではない。

戦場では、自分を守るために、相手を殺すことは、許せるとしても、戦闘現場にいるわけでもなく、ただ議決のためだけに椅子に座っている人たちが、戦争犯罪行為を認めるという思考回路はいったいどうなっているのか、想像すらつかない。

ガザ地区で亡くなった子どもと女性たちは戦死者ですらなくて、ただ虐殺されただけとなる。いったい、何のためにこの世に生まれたのかという問いすらできない、虫けら同然の扱いをされている。

虫けら同然といえば、戦前に戦争に駆り出されて、南洋の島に派遣された日本人兵士たちは、戦って死んだのではなくて、ほとんどが餓死だと聞いている。虫けら以下の扱いをされていたことになる。

こうした戦死者は、日本のために、あるいは天皇のためにすすんで死んだのか、恨みをもって死んだのかは、われわれには分からないことです。

鉄砲玉に当たって一瞬にして死ぬのなら、ともかく、飢えで、もがきあえぎ苦しみながら、長い時間をかけて死を迎える心中はいかなるものだろうかは、はかりしれない。

天皇に対しての恨みは、さすがにその当時の人たちは頭の中にはなかっただろう。

それでも、直属の上司なりの誰かに対しては、恨みながら死んでいった人も多かったのではないか。

こうした惨たらしい死に方をさせてしまった戦争責任はいったいどこにあったのか。

東京軍事裁判で、A級戦犯と言われた東條英機たちは死刑執行されたが、天皇の責任は問われなかった。

東京軍事裁判というのは、アメリカなどの戦勝国が敗戦国を裁いたにすぎないものだという理由だけでは、否定できない。

日本は、戦争が勃発する前に、国際連盟を脱退しました。その根底には国際法など単に道徳にすぎないという考えがあります。戦後においても、極右の連中は、今だに、東京裁判はなどは無効だど叫んでいる。

だが、国際法を認めないと公言し、かつ敗北した場合、それを裁く法廷が、国際法順守を唱える他の戦勝国によって構成されるのは当然だからです。

東京裁判が非難されるべきなのは、ここで天皇が免責されたことにある。

ここには、明らかに非法的な、極めて政治的な意図がありました。そのため、この国際的法廷は、その普遍的理念を失ったといえる。

戦前においては、明治憲法を立憲君主制と解釈して「天皇機関説」を唱えた美濃部達吉は危険思想として追放されたのだから、天皇の政治的責任は避けられないはずだった。ところが、免責になったことで、天皇に反撥したのは、むしろ右翼であり左翼ではなかった。

たとえば、1970天皇を かつい だ クーデター を 訴え て 自決 し た 三島由紀夫 の よう な 人 は、 死ぬ 前 の インタビュー でも、 昭和天皇 に対する 嫌悪 と 軽蔑 を 隠し て い ませ ん。

また、 天皇の 戦争 責任 を 認め て 右翼 から 襲撃 さ れ た 長崎 市長 本島 等 は、 左翼 どころか、 どちら かと いえ ば「 右翼 的」 な 人物 です。総じて、天皇責任を認める者は蜷 川 新 の よう に「 明治 気質」 の 人間 です。

柄谷 行人. 倫理21 (平凡社ライブラリー 471) (Kindle の位置No.1542). 平凡社. Kindle 版.

東京裁判のあと天皇が退位することを当然とする日本の識者の意見を抑えたのはアメリカのマッカーサーだった。

戦後の東京裁判において、戦争犯罪の責任を問われた軍人、政治家の多くは、上官の命令に従っただけだと弁明した。それをさかのぼっていくと、天皇に行きつく。

日本の最高責任者が免責されたことの影響はいまだに続いている。誰も責任を取らなくなった。

政治 学者 の 丸山真男 は、 それ を「 無責任 の 体系」 と 呼び、 その 原因 を 解明 しよ う と し まし た。

しかし、「 無責任 の 体系」 は、 日本人の 伝統 的 な メンタリティ による のでは なく、 また、 社会的 政治的 構造 による のでは なく、 この 時期、 天皇 が 責任 を 免れ た こと に こそ ある の です。

それ は むしろ戦後 に はじまり、 現在 に 至る まで 続い て い ます。 それ は 戦争 末期 以来 顕著 に なっ た、 米 ソ 対立 の 構造 に 根ざし て い た わけ です。

柄谷 行人. 倫理21 (平凡社ライブラリー 471) (Kindle の位置No.1568). 平凡社. Kindle 版.

戦中の天皇はともかくとして、戦後から現在の天皇にいたるまで、天皇家の振る舞いは、明らかに、戦争反対という護憲派、平和主義者としての立場を貫き続けている。

私の若い頃は、天皇家族がテレビに映される度に、チャンネルを変えるなり、消していたぐらいに嫌悪感はあった。年を重ねるうちに、いつのまにか、そうした感情は消えていた。

それどころか、むしろ、安倍元首相が天皇を茶化していた様子に嫌悪感を抱いた。もはや、天皇の戦争責任論は、今さら感しかない。とはいえ、論理的に追いつめると、柄谷や丸山が述べている論とならざるをえないことは理解できる。








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