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カール・マルクス 著『資本論 』(104)  読書メモ

第二巻 資本の流通過程
 第三篇 社会的総資本の再生産と流通
  第二十章 単純再生産
第四節 第二部類内の取引。生活必需品と
       奢侈品
第二 部類 の v + m は、消費物品の現物形態をもって存在するのであるから、そして労働力の支払いにおいて労働者に前貸しされる可変資本は、彼らによって全体として消費手段に支出されねばならないのいのであるから、また諸商品の価値部分mは、単純再生産の前提のもとでは、事実上収入として消費手段に支出されるのであるから、第二部類の労働者は、第二部類の資本家から受取った労働賃金をもって彼らから自身の生産物の一部ーーー労働賃金として受取った貨幣価値の大いさに対応するそれーーーを買戻すものであることは、一見して明らかなことである。

これによって第二部類の資本家階級は、労働力の支払いにおいて前貸しした貨幣資本を、貨幣形態に再転化する。それは、彼らが労働者に単なる価値票をもって支払ったのと全く同じことである。

【私見:労働者自らが、生産物を産み出した労働力の対価として、資本家階級から商品券みたいなものが、支払われるのであるが、その商品券が、実際には、世界でも通じる貨幣となっているので、貴重な価値として認められているだけなのだ、とマルクスは述べている。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1527). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

年々 の 商品生産 の 第二 部類 は、 きわめて 種々 雑多 な 産業 部門 から 成る が、 これら の 部門は、またーーーその生産物から見てーーー次の二つの大きな亜部類に分かたれうる。

(a)労働者階級の消費に入る消費手段、また、それが生活必需品であるかぎりでは、質と価値から見てしばしば労働者のそれとは異なるにせよ、資本家階級の消費の一部をもなす消費手段。

この亜部類の全体を、われわれの目的のためには、必要消費手段という項目のもとに一括することができる。

(b) 資本家階級の消費にのみ入り、したがって労働者には決して帰属しない、支出された剰余価値とのみ取引されうる奢侈消費手段。

この亜部類において前貸しされた可変資本を、その貨幣形態で資本家的生産者に復帰させる還流は、直接的でありえず、第一部類のvと同様に媒介されなければならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1541). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

すべて の 恐慌 は 一時的 に 奢侈 品 消費 を 減少 さ せる。 それ は、 第二部類のbのvの貨幣資本への再転化を緩慢にし、遅滞させ、それを一部分しか可能にせず、したがって、奢侈品生産労働者の一部を失業させるのであるが、他面ではちょうど同じおとによって、必要消費手段の販売をも停滞させ、減少させる。

同時に解雇される不生産的労働者、すなわち、彼らの奉仕に代償として資本家の奢侈品支出の一部を受取り(そのかぎりではこれらの労働者自身が奢侈品である)、ことに生活必需品の消費にもきわめて大きく参加する不生産的労働者等のことは、全然問題外とする。

繁栄期には、またことにその狂気的満開期には、その逆であるーーーこの時期には、すでに他の諸理由からも、商品で表現される貨幣の相対的価値が液化し(別に現実の価値革命の行われていることなしに)、したがって、商品の価格が、それ自身の価値からは独立に、騰貴する。

生活必需品の消費が増大するだけではない。労働者階級(それにはいまや全予備軍も現役として加わっている)も、一時的には、平素は彼らの手に入らない奢侈品の消費に参加し、さらに、平素は大部分が資本家階級にとってのみ「必要な」消費手段をなす部類の必要消費財の分け前もあずかり、このことが、また物価の騰貴を引起こす。

恐慌 は、 支 払 能力 ある 消費、 または 支 払 能力 ある 消費者 の 不足 から 生ずる、 と 言う のは、ただの同義反復である。被救護貧民の消費から「泥棒」の消費を除けば、資本主義制度は、支払う消費以外の消費を知らない。

商品が売れないということは、支払能力あるその買い手が、すなわち消費者が見つからなかった(商品が結局生産的消費のために買われるにせよ)ということを意味するにほかならない。

しかし、労働者階級が、それ自身の生産物のうちから受取るところは少なすぎる、それゆえ労働者階級がより大きな分け前を受取り、したがってその労働賃金が増加すれば救われる、と言うことによって、この同義反復により深い根拠の外見を与えようとする者があるならば、こう言えばよい、ーーーいつでも恐慌は、労働賃金が一般的に上昇して、労働者階級が年生産物中の消費者向け部分におけるより大きな分け前を現実に受取る時期、まさにこの時、準備されるのである、と。

かかる時期はーーーこれら健全にして「単純な」常識の騎士の観点からすればーーー逆に、恐慌を遠ざけるはずのものであろう。

かくして資本主義的生産は、かの労働者階級の相対的繁栄を、ただ一時的にのみ、しかもつねに恐慌の前触れとしてのみ許す、善意または悪意からは独立した諸条件を含むかのように見える。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1830). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

単純再生産 は、 事実 上、 消費 を 目的 として これ に 向け られ て いる。 もっとも 剰余価値 の 獲得 が、 個別 資本家 の 推進 的 動機 として 現われるのであるが。しかし、剰余価値はーーーその比率の大いさの如何を問わずーーー結局ここでは、ただ資本家の個人消費にのみ役立つべきものである。

単純生産が、すべての年々の拡大された規模における再生産の部分でもあり、またきわめて大きな部分でもあるかぎり、依然としてこの動機は、致富そのものの動機を伴い、そしてこれに対立している。

事柄は現実にはより複雑に現れる、というのは、獲物ーーー資本家の剰余価値ーーーを分けとる人々が、資本家から独立して現れるからである。

【私見:資本家の剰余価値の分け前は、資本家だけが、獲得するのではなくて、株主、地主等が、より多く獲得することになっている。

この剰余価値の大半は、労働者を搾取したことから、得られたものであるが、それにもかかわららず、当然のようにして、労働者には回さない。労働者には、すでに労働賃金を支払っているからというわけか。

会社は、株主の所有物だとばかりに、横暴で、強欲な株主の支配を許すようなところは、もはや、繁栄することはない、とマルクスは言っているのだろうか】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 5 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1863). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

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