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酒呑んで呑まれる。人はいつも”何か”を忘れたい


僕は若いころ、お酒を提供する夜の仕事をしていた。


来るお客さんの相手をするように一緒にお酒を飲み、週末はパーティさながらの忙しさ。


沢山のお酒を飲み、酔っぱらう事が楽しかった。そんな時期ってあるよね('ω')


今はお酒が月一回の奥さんとの楽しみになっていて、飲んでもビール1杯か2杯。若いころと違って、酔っぱらう、酔いつぶれる、記憶を飛ばすということは無くなった。


大人になってからも、酒を飲んでは吞まれてしまうという人は少なくはない。


人は何かを忘れたい。決してそれがダメなのではなく、そういうものじゃないかと思う。


何かを忘れて、自由に羽ばたきたいのではないだろうか。



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人は何を忘れたいのか。


ドラッグに依存する人。お酒に依存し、呑まれる人。

(まぁお酒は、合法ドラッグのようなものなんだけど('ω'))


人は酩酊状態になって、記憶まで飛ばして、何から逃れたいのだろう。



それは、抱えている罪悪感や劣等感かもしれない。

それは、現実の不安や恐怖から逃れるためかもしれない。

それは、本当の自分を生きていなくて、それをどこか心の奥底で気付いているからかもしれない。



その根源は、自分を消してしまいたいからかもしれない。



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自分が消えるとき、快感を覚える



海外旅行で出会った美しい自然の風景に我を忘れるとき。


たまの休暇に、温泉に訪れてお湯に浸かるとき。


暑い夏の日、綺麗な海で火照った体を泳がせるとき。


めちゃくちゃ旨い寿司を口の中に入れたとき。



人が最高の瞬間を体験・体感するとき、自分は消える。

自分は消えて、その風景、その感覚、その味と一体化する。

その時、過去も未来も、恐れも恐怖とも無縁になる。



個が消えるとき、世界と自分が一体化する。

そこに本当があるような気がする。



社会的成功、人脈を持つこと、立派な肩書を持つことで個は強化される。

不安も恐怖も強化される。そうやって生きていくのが社会。



でも本当のところは自分は居なくて、心の表れとして世界があるだけなんじゃないか。






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