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大きなまちづくりについての考察その3

まちづくりとは何でしょうか?

まちをつくっている人とは誰でしょうか?

誰もがそれを意識せず日々生活を送っているわけですが、それが「まちをつくっている」状態なのかもしれません。

寝て、起きて、食べて、排泄して、を繰り返すだけでまちがつくられていく。

それに好きなことをする時間であったり、面倒くさいことや義務感でやらなければならないことが足されていき、ストレスフルな生活が出来上がってしまう場合もあります。

今の生活に足りないもの、困っていることや、今後困るであろうこと、先の不安などもストレスの原因になっている場合もあります。

しかし、一人ではどうにもならないことや多少人数がいても様々な要素が絡み合い直ぐに変わる見込みがないこともあります。

むしろそういったことの方が多いのかもしれません。中々他者との意見が一致することは少ないものです。

私たちは問題を解決するための方法について、いつも食い違いを生んでしまいます。

苫野一徳さんという哲学者が(たしか)こんな面白い例え話をしていました。

夫と妻が子供の教育について意見を言い合っていて、
夫「門限を決めるべきだ」
妻「決めなくていい」
妻「勉強の時間をもっと作らなくてはならない」
夫「もっと外で遊ばせればいい」

両親の教育方針が食い違い、対立が生まれてしまいます。でも、

夫は危険に巻き込まれず、無事に育ってほしい。
妻は将来の選択肢が増え、好きなことができるように育ってほしい。

と、わが子の将来のために考えたことという共通点があります。

その共通点は、深いところの欲望だと苫野さんは言うのです。

夫婦の教育方針においては、将来のため(または将来こんな風に育ってほしい)という共通の欲望

まちづくりにおいては、住みやすい環境やにぎわいかもしれないし、産業の発展が共通の欲望かもしれません。

こうして欲望に焦点を当てると、あの人とは話が合わないと思っていたことが、意外と共通点が見つかったりするのだそうです。

まあ、現実はそんなに簡単ではないですが、人は心の持ち様で縛られていた事から自由になれることもある。

そう考えると、深いところの欲望を言葉にしてみることは、私たちの生活にとって、結構大きな一歩になるかもしれませんね。

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