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8252日記~おひとりハハ82歳と52歳の私のこと #3そうだリフォームしよう

父が亡くなり、一人暮らしになったハハ、82歳。私は東京で一人暮らししている52歳。離れ離れの母子のつれづれを書いています。         隙あらば子に依存しようとするハハと、                自立させようとするムスメ、                     逃げ腰のアニのチキンレースの記録です。

”寂しい病”にとりつかれたハハを紛らわせるためにとった作戦とは・・・

昼と夜のギャップ

昼はおひとりになった母を心配してご近所さんが様子を見に来たり、父のお悔みに来てくれたりと、そこそこ賑やかに過ごせるのだけど、夜は1人というのがギャップが大きく、寂しさが際立つようだった。         

私が電話をすると”寂しい寂しい”を連発してくる。

ああ・・・うっとうしい。                      なぜなら、告白すると、母親のことがあまり好きではないから。           母親とは、合わないのだ。だから、頼りにされては困る。        母には死ぬまで自活してくれなきゃ、困る・・・。

見守りネットワークをつくろう

こどもが同居せずに、高齢母を一人暮らしさせるために、こどもの代わりになる人が必要だろう。と思い立った。母をそれとなく見守ってくれる人

・・・そうだ。母のまわりに頼りになるネットワークを作ろう。そう決めた。

そこで母のコミュ力を生かして、見守りネットワークを作るように促した。新しい人達と関わってみたら刺激にもなるんじゃないか。        顔なじみの人、新しい人が頻繁に出入りしてくれれば、気も紛れるから、楽しく過ごせるだろうし、寂しさも癒えるのではないか、と考えた。

母の長所は、素直なところ。                     これがいいよ、こうすればいいんじゃない、っていうアドバイスを聞き入れてくれる。

帰省したときに、民生委員と地域包括支援センターと連携をとることを薦めたら、すぐ電話してくれたため、面談に立ち合うことができた。 

田舎の人の特性は、近所付き合いがそこそこできるにもかかわらず、他人を家に入れたくない、新しい人とつきあいたくない、っていうことがある。 まして、年寄りは好き嫌いが激しい。民生委員と地域包括支援センターの ケアマネージャーが母が気に入るかどうか。

他人に対して、ええかっこしいの一面が功をなしたのか、民生委員ともケアマネとも、好印象だった。それぞれ話が盛り上がり、自分の悩みを聞いてもらえて、共感してくれたのも大きかったようだ。                      民生委員もケアマネさんも、定期的に面談に来てくれることになった。

ケアマネさんからは、年齢も年齢なんで、と、介護保険サービスを受けるために介護認定をしてもらった。結果、要支援1になり、週一で筋トレに通うことになった。

要支援1の恩恵

母にとって要支援1は、プライドが傷ついたようで少し落ち込んだ。

本当はお母さんは認定されないんだけど、ジムに行きたがってたから、筋トレが受けられるように要支援にわざわざ認定してくれたんじゃないの?

と吹き込んだら、素直に納得した。
町にスポーツジムがあるのだけど、あるおばさまグループが占領しており、母はそのグループには関わりたくないのだった。

おなじ地域の人に、家のことを知られとうない。気を遣うのが嫌。という。しかも、通うには車が必要だ。

その点、要支援の筋トレなら、家の近くまで迎えに来てくれるし、ジム仲間ができる。週一回というスケジュール感もちょうどいい。


週に一回でも予定が決まっている、というのは張り合いになる。筋トレをすれば、体が疲れて、夜もすぐ寝るだろう。新しい仲間ができたら、楽しいにちがいない。きっと寂しいと思う時間が短くなるはず。

思った通り、しばらくは寂しいと言わなくなったが、2か月ほどしかもたなった。

母の期待と兄の本音

電話とラインで寂しい病を炸裂させるハハ。ハハの本心は、兄一家と暮らしたいのだが、兄は断固拒否。住まいに母の居住スペースがないのを理由にしていた。でも、兄の本心は、               

兄は親孝行したいという頭はあるのだけど、行動がついていかないのだ。母の言動に感情を抑えられない。感情を抑えたらストレスだし、爆発させたら後悔する。それが分かっているんだろう。兄は優しいのだけど、母を受け入れるだけの器がないのだった。

母の矛先は私に向った。

「私がいくつになったら、あなたは帰ってきてくれるの?」とのたまう。

いえ、それはありえませんから。と心中で叫んでも、本人に言えない。

最後まで自活してほしい

そもそも、子どものころから両親は私になんも期待してなかった。長子である兄と、それはそれは扱いが違う。

家を守る使命を帯びた兄、それ以外(といっても私ひとりだけど)は、まあ、兄の予備、みたいなものである。ハハのために補足すると、子どもとしてのかわいさは同じだけど、役割が違う、だけのことであるが。     

私も母に対して、兄と同様に感情的になるときがある。

母はわたしたちを怒らせる特殊な才能があるに違いない。(デリカシーがないだけなんだけど)

もし、介護が必要になったら・・・。と考えると、そら恐ろしい。

母は施設に入りたくない、と言っている。

できるだけ、施設に入るのは遅らせて、施設に入るまでは自活させつつ、施設に入ってもいい、という気持ちにさせなくてはならない。

そのためには、ある程度お金を使うのは仕方がない。

そして閃いた。寂しさを紛らわせつつ、自活していくための方法を。

自活のため、住まいをハハ仕様にする

それは、家をリフォームすること。

父が健在のころは、家のことを決めるのは父親の役割だったし、家そのものが父親のプライドを表していた。


うちは築40年以上の一戸建てで、昔の家の作りだから、隙間風が容赦なく入る。とくに、浴室。お風呂から上がって体を拭いている間に体が冷え切る。浴槽も深くて、母の足が弱ったら、跨げないんじゃないか、と思われる。脱衣所の床は湿気でぺこぺこにたわんでる。


父は、リフォームするなら、家に火をつけて一緒に燃えて死んでやる、とまで言っていたほど、家は自分のプライドそのものだった。

だもんで、家族は寒いお風呂に我慢し続けていた。母が1人になってしまっては、ヒートショックが心配である。もし、お風呂で倒れても、気づく人がいない。しかも、ヒートショックで死ぬ人が多い県である。

私には、家族がお風呂で亡くなっていたという同僚が2人もいる。10人ちょいしかいないのに。しかも、二人とも母よりもずいぶん若い。

ヒートショックが心配

ヒートショック死を回避するためにも、年内中に、お風呂を直そう!と提案したら、母は、反対した。                       

寒いってみんないうけど、私は寒いと思っていない。            お風呂が深いっていうけど、慣れている。

近所の人とか、ケアマネさんに相談してみたら?とふってみた。家族のひとりが口酸っぱく言ったって、母にしてみたら、お父さんが直さなかったのを、お父さんが亡くなったからってすぐに直すのはいかがなものか、というのがネックだからだ。                        

それに、リフォームには大金がかかる。自分が管理している口座から、一気に数百万単位が引き落とされることにビビっているのだ。

兄は何もいわない。本音は、リフォームするなら、金をくれ。だ。

母が周囲に相談したところ、みな、賛成してくれたらしい。       どこのお宅も、お風呂を改装したいのだけどネックは主人だという。   町の電気屋さんに相談してみたら、リフォームするのは二通りの時期があって、ひとつは定年退職したとき。もうひとつは、ご主人が亡くなったとき。

ケアマネさんは、そらもう、直したほうがいい。手すりをつけるんなら補助が出るだろうから調べておきます、と言ってくれた。

施設のお世話にならずに、この家に住み続けるなら、お風呂はいつかは直さなきゃいけないんだから、だったら、はやいうちに直しといたほうがいいじゃん。と言ったら、そやなあ、と承諾してくれた。

いうことで、自宅のリフォーム計画が立ち上がった。

母は日々考えたあげく、浴室をフルリフォームして、キッチンの床を貼り替えることになった。何かを考えることは、寂しさを遠のけたようだった。

それに、自分で家のことを決めるというのは、母にとって初めてのことで気分を高揚させた。電話でも寂しいと言わなくなった。

浴室が快適になったら、他の部屋もリフォームする気になるんじゃないか、と期待した。


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