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「罪なき笑い」の難しさ

わたしは東京都下(いわゆる電話番号が03ではないエリア)の出身だ。

ドリフやひょうきん族は見ていたけれど、両親ともに東北出身かつ寡黙な人だったので「お笑い」はテレビで見るものだった。

いわゆる吉本系のお笑いを知ったのは日本ではなく海外。新喜劇のビデオをバンコクで見たのが最初だったと思う。関西出身者が盛り上がる中、私はひとり孤独を噛み締めた。悲しいかな、笑いのツボが殆ど分からなかったのだ。

その後も関西の人から「ノリが悪い」「(笑いが)分かってない」などと言われるたび、なんか理不尽じゃない?と思っていた。だって東京出身だもん、笑わないない環境で育ったんだもん、と(言ってないけど)。

ところで最近、話題になっている大物芸人のスキャンダル。 

ポイントは色々あると思うが、単なる性欲を「面白さ」で包んで押し付け、拒まれたら「ノリが悪い」と責めているだけだとしたら、それは随分と低レベルな笑いだ。

人が傷つけたいという欲望で行動すれば「イジメ」だけど、そこに笑いを足せば「イジリ」で許される、なんてのはどうも納得がいかない。お笑い高偏差値者にだけ通じる「ネタ」かもしれないけれど、私のような一般人には単なる「毒」だ。
芸人を「笑いのプロ」とするならば、やはりその態度はいただけない。

この件に関し「遊び方が下手」と一刀両断した人もいると聞くが、まさにその通りだと思う。彼はアーティストだから的な擁護も聞こえるけど、支えてくれるスタッフに恵まれなかったのは大人としてちょっと、ね。

そもそも毒を使わず人を笑わせるのはかなり難しい。
もし自分が「これだったら絶対にウケる」というネタを持っていたとしたら思い返して欲しい、それって本当に自虐や他虐なしに成り立っている「ネタ」だろうか。

やっぱり笑いってコンテンツは難しい。特に罪のない「笑い」ってなんだろう。







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