【福岡歴史白書】月形洗蔵と平野国臣
過去にも記事で書いたが、幕末の福岡を舞台に物語を創ろうと考えた時、主人公は月形洗蔵という男にしようと決めた。
その為に様々な資料を読み漁ったが、洗蔵以外にも主人公として遜色ない人物をたくさん見つけた。
特に平野国臣という男は幕末偉人100人を纏めてみたというような書籍に名を連ねるぐらいだから、幕末の福岡(筑前藩)において広く世に知れ渡った人物だと言えるだろう。
そんな2人を主人公級に扱うとしたら、どのような物語になるのだろう?
今回はそんなボクの妄想を書いていきたい。
対照的な2人
まずこの2人は生まれた年が一緒。つまり同い年だ。
しかし生まれた環境には大きな違いがある。
洗蔵は馬廻衆の家に生まれ、祖父は藩主の侍講を務めたほどの人物。藩に訴え出たいことがあれば直訴できる立場にある。言うなればエリート家系だ。
一方、国臣は足軽の家の生まれ。父は武術指南役であったが、武士としての階級は低い。武道場では師弟関係にあっても、一歩、外に出れば立場は逆転してしまう。個人の持つ実力ではなく身分によって立場が決まってしまう。国臣が日本という国を変えようとしたのも、派手な格好で出歩くようになったのも、生まれ育った家の環境から来るコンプレックスの現れだったのかもしれない。
2人の関係性は?
実際にこの2人の間に交流はあったのだろうか?はっきりと交流したという記録は残っていない。
洗蔵が国臣の活動について言及していたことや国臣が福岡にいる尊王攘夷の活動をする面々に決起を促しているので、その中に洗蔵の名前もあっただろうから、過去に面識があった可能性は高い。
何より京都の勤王僧 月照を薩摩へ逃がそうとするのを洗蔵は鷹取養巴と協力しているし、国臣は月照を薩摩へ送り届けるのに同行している。
幼少期に出会っていたかは知らないが、少なくとも月照が福岡へ来たときに少なからず交流はあったのではないか?と想像する。
主人公は誰だ
書きながら思ったのが、平野国臣も十分に物語の主人公として魅力的な人物だなということ。
福岡に留まって尊王攘夷活動を行った洗蔵と違い様々な場所を巡り自分の志を貫いた国臣。
誰を主人公とするかを迷うぐらいなら、いっそのこと幕末の福岡を舞台に様々な人物が活躍する群像劇を作ることにしようか。
人は誰しも自分の人生という舞台の主人公だ。しかし自らの人生を他人に描かせることが出来るのは圧倒的な熱量の志が必要だと思う。
自分もそんな熱い志を持ってこの先の人生を進めるだろうか。
いや、進んで見せます! 博多佐之助でした。
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