見出し画像

行けば行くほど味気なくなる魔法の国のお話。

タイトルで気分を害したみなさん、大変申し訳ない。腹いせに今すぐそのスマホの画面を叩き割って欲しい。それかすぐにブラウザバックして欲しい。
今回は、露骨なインスタ映えと用意された感動は素直に楽しめない、という自己紹介をする。 たぶん嫌われるが、する。ディズニーファンのみなさん、ごめん。

ディズニーのリア充じみた空気感を皮肉って嫌い、と言っているわけではない。できる体験が陳腐化してしまった、とでも言えばいいだろうか、要は行きすぎたのである。僕は千葉県民ということもあり、行こうと思えばすぐに行ける距離間にあのテーマパークが存在する。例に漏れず子供の頃から何回も行っているが、それでも好きになれなかったのは、何回行っても見える光景、滞在時間ごとに抱く感情の変化が同じであることに気づいてしまったからである。朝はとんでもなく早起き、中で食べざるを得ない高すぎるご飯、どうも対象年齢から外れているんだろうな〜という目で見てしまうキャラクターのパレード、帰りの京葉線ホームでの疲れ、総武線での爆睡。一緒に行く相手ももう同じ光景を何度も見ているだろうから、せっかく出かけているのにもかかわらず、する会話と言えばパークに関すること、ではなく普段通りの世間話やうわべばかりの会話に終始する。それなら別に、カフェでも居酒屋でももっと安上がりで疲れない場所があるのではないか、と思ってしまう。単純にコスパが悪いというのも、1つの理由である。

別にディズニーにもう一生行きたくない、というわけではない。大人数で手っ取り早く思い出を作るには、最適のスポットだと思っている。お揃いのコーデやカチューシャを着けて楽しく歩き回り、豊富にある写真スポットで写真を撮り、SNSにアップする。側から見たら、仲良し感マックスである。僕のような人間からしたら、一緒にディズニーに行くという行為はなかなかに難易度が高い。よほどの仲良しでなければ怯んでしまう。だから、SNSで知り合いの集団がディズニーに行っている写真を見ると、無条件にこの集団は仲良し、という印象が植え付けられる。自分はこの人と仲良しなんです!ということを手っ取り早く人に印象付けるには、ディズニーは最適なのではないか。と常々思っている。ただ、恋人とは何回もディズニーへは行きたくない。「どこに行くかより誰と行くかだよ。」なんて声が聞こえてきそうだが、だからこそ、大切に思う人だからこそ、感情の答えが用意されている場所ではなく、そこに行くまでお互いどうなるか分からないような場所に行きたい。絶対そっちのが楽しいもん。

本題である。なぜ僕がディズニーに「飽きて」しまったのか。それは、クリエイティブではない場所であるからである。前述した通り、ディズニーには写真映えする場所がたくさんある。インスタグラムでハッシュタグ検索をすると、同じポーズで写る写真がズラーッと出てくる。ポーズまで教科書があるかのように指定されているのである。誰が決めたのかもわからない流行、定番のポーズで写真を撮り、ハッシュタグ付き投稿をすることが、若者にとってのステータスになっているのだろう。人だけが変わって、格好も構図もほぼ同じ写真が一画面に大量に出てくる図は、恐怖でしかない。日本人特有の協調性の現れと言えてしまうだろうが、この話をしていたらもう一個分noteが書けてしまうから今回はやめておこう。

もう一つは、感情変化の誘導が露骨であるということである。これはまったく僕自身の問題であるが、いわゆる「御涙頂戴」物に対して、ひどく冷めた目で見てしまう。あからさまな感動の提供に、まったく感情移入できない。それどころか、恥ずかしさや嫌悪感まで感じてしまう。これが初めての経験であるのなら、感動とまではいかなくとも見るもの全てが珍しく目を輝かせていたのだろうが、いかんせん行きすぎた。もはや何も感じない。何回も行ってそのたびに新たな発見をして感動できる人は素直にすごいと思う。ちょっとその感性を分けて欲しい。これと同じ理由で、同じ感動モノの映画を2回以上観る、という行為もできない。というか時間も金ももったいない、と感じてしまう。もう一度同じ感情に自分を置いて、どこか自分の中で変化があるのだろうか。

「夢がかなう場所」であるはずのディズニーは、いつのまにか「みんなと同じになれる場所」になってしまっている。楽しみ方は人それぞれであるが、同化を求めて夢の国へと向かう彼らが、僕は怖い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?