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イケてる大学生とお酒の親和性。

「大学は人生の夏休みである」

よく耳にする言葉である。僕はこの言葉がキライだ。「今はなにも考えないで楽しいことをしていていい期間だよ、君はこれまで頑張ってきたんだしこれから社会に出たらキツイことばっかりだよ。」と言われているような気がしてならないし、本当にそういう意味だと思うからである。だが、自分も高校生のときにはこの言葉を信じてひたすらに勉強したものである。本当の夏休みも部活と勉強だけで終わっていた僕にとって、この言葉はとても魅力的だった。

大学生になったばかりのころ、幸いにも友人にも恵まれ、この言葉を謳歌するかのようなテンプレートな大学生活を送っていた。僕は大学で一番悪目立ちしていると噂されているサークルに敢えて入った。理由は簡単だ。イケてる大学生はそういった場所に集まっているという価値観が自分の中に刷り込まれていたからである。中高時代のスクールカーストトップクラスの連中が、我こそは順風満帆な人生を送ってきました。みたいな顔や格好をしてこぞって集まる。結論から言って、この考えは合っていた。同じような学生生活を送ってきたような人が集まり、価値観や話が合う友人が何人もできた。こういった人種の人たちは、「空気を読む」ことに長けているし、それを1番の優先順位に考えていることが多い。人間関係の強者は、その場の雰囲気を捉え、その中で自分のキャラを演じることが上手い。会の「空気を壊す」ことが彼らが一番恐れていることであろう。高校生まではそれが男子であれば体を張った笑いを取りに行くことであり、女子であればグループのメンバー内での趣味や嗜好、空気感の調整であろう。

しかし、大学生になると「飲み会でいかに面白いことが言えるか、できるか」にその人の価値基準が変わる。不思議な話である。大学生になったとたん、集まって話をする場所がマックから大衆居酒屋に変わる。お酒を飲まなければ面白い話ができないという価値観が自然と形成されるのである。人生を上手く生きてきた人は、こうした急激な価値観の移り変わりにも対処するのが上手い。先輩を勝手にランク付けし、強いと思われる先輩に好かれようと、無理をすることを厭わない。こういった人たちは得てして頻繁に同じメンバーで飲み会をしているものだから、当然話も尽きる。そこで彼らはコミュニケーションを放棄し、「ゲーム」や「コール」のような面白い話をしなくてもいい、短絡的な楽しみ方を見出す。これに上手く乗れる人が、サークル内での権力を上げていく。

これは僕の持論だが、お酒はコミュニケーションを円滑に進める潤滑油であり、会話をしやすくするための便利な道具である。決して、泥酔させ(潰し)コミュニケーションを不能にして判断力を鈍らせるための道具ではないと考える。わざわざ高いお金を払って気持ち悪くなりにいく意味がわからない。

時間がある人は、このEXIT兼近さんの記事を読んでもらいたい。これが今の僕のお酒に対するスタンスとほぼ変わらない。お前のことなんて興味ねえよ!って人、こんな長い文章をここまで読んでくれてありがとう。

飲みサーにおいては、酒の強さ=おもしろさ=ステータスという式が成立する。居酒屋でする話と言えば、恋バナから始まり、この前の飲み会で○○が場ゲロした、○○先輩は一気飲みめっちゃ速い、この前記憶飛ばしてやらかしたなどは鉄板ネタであり、それを武勇伝として語る人の話を聞くことが大半である。それをみんなのうちで共有し、あの人はヤバい、のような印象付けをしていく。上の図式が成り立っている以上、自分の酒に関するエピソードを語ることは、サークルで生き残っていく上でとても理にかなった行動である。その集団の雰囲気に合わせられる人がどんな集団でも存在感を表していくのは当然だが、大学生においては、目立つ集団というものは得てしてお酒を飲み交わすことを好む。自分の力をお酒という道具を使って誇示したがる生き物に進化するのだ。これは、一足先に大人になりたいという気持ちの表れなのではないか。人は禁止されているものほどやりたくなる。「押すなよ、押すなよ」と一緒の現象が、大学生の間では蔓延っている。中学でタバコを吸っているヤンキーと同じである。中高時代は真面目に勉強をしてきた中〜高偏差値の大学生ほど、その反動で今まで禁止されてきた悪いことをしたくなるのではないか。大学生には、少し遅めのヤンキーへの憧れがやってきている。

そんな僕も、人間関係は今までも上手くやってきたほうだ。「2年生までは何も考えないで遊んで過ごしてればいいよ」なんてことも先輩から教わり、その言葉通り、先輩に誘われれば夜中であろうと出かけたし、同級生とも積極的にコミュニケーションをとり、たくさん遊びに出かけた。僕のSNSを見ていた人は、僕が充実した生活を送っていることを半ば皮肉めいた目で見つつも、楽しそうだとは思っていただろう。当時の僕は、与えられた居場所で、何も考えずにただただ誘われた楽しそうなことをしていた。この当時はそれが本当に楽しいし正しい大学生活の送り方であると信じてやまなかった。

大学もふた回り目となると、様々な面で余裕が出てくるものである。テストへの効率的な対処、アルバイトでのふるまい、飲み会でも自分の立ち位置やキャラをわきまえ、後輩を楽しませるという「仕事」も自然とこなせるようになる。だからこそ、自分は今悩んでいるのであろう。全てが一回経験したことの焼き直しであり、新鮮味に欠けてしまった。自分がお酒を飲むとこうなる、と言うことも嫌という程わかる。ここにこの人と出かけたらこういう気持ちになってこういう写真を撮ってこういう文章と共にインスタにアップする、といったことの正解がやる前から分かってしまうようになった。

もしかしたら、みんなも自分と同じような気持ちになってそれを忘れるために今日も酒を飲んでかき消そうとしているのではないか。というのが最近の僕の有力な説だ。何も考えなくてもいい夏休みの期間を延ばしたいのだろうか。こればっかりは人それぞれだ。僕にはわからない。

夏休み=楽しいもの と仮定するならば、僕は大学生の期間を夏休みにはしたくない。人生においていつでも「今」が一番楽しいと思えるような生活を送ってきたし、これから社会に出てもそう思える環境に身を置くための努力をする期間こそが大学生だと思っている。

今はね。

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