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「地中海北縁を巡る旅と生活」その4

■香高堂「地中海北縁を巡る旅と生活」その4 
第1章<地中海への道程と旅の絵図>
1-2 海外生活からコロナ自粛生活へ

 2013年からの約7年の海外生活の中で、いつの間にか「地中海の北縁」を回っていたことに気が付いた。イタリア半島を挟み方円の北縁を描くのがアドリア海と地中海。さらにジブラルタル海峡を越えると南の縁に入り、北アフリカ沿岸、エジプトからトルコ、ギリシャまで辿り着く。

 我が本格的な生活する旅は、まずはバルカン半島に向かった。東欧のサラエボに始まり、アドリア海と地中海を巡って、大西洋にまで辿り着き、一旦マルセイユで終わりを遂げた。ある時はアフリカの西端、セネガルやモーリタニアを覗いたが、この「南縁を回る」のは幾つになってからだろうか、。2024年は予測の付かない人生、世の中になっている。
 
 2013年秋から東欧バルカン半島にあるボスニアヘルツェゴビナの首都<サラエボ>に在住し、何度かアドリア海沿岸を旅した。アドリア海の東側はクロアチアの<ドブログニク、スピリト、リエカ、プドヴァ>などからボスニアの<ネウム>、モンテネグロの<コトル>まで旅をした。

 一方、サラエボから北に向かい、4時間かけて国境を越え、高速に乗って隣国クロアチアの首都<ザグレブ>に入り、スロヴェニアの<ブレッド湖>まで行き着く。西に向かうと<イタリアのトリエステ>に辿り着き、<ベネチア、ボローニャ、フィレンツェ>等の街を有するイタリア半島を横切り、<リボルノ、ピサ、ジェノバ>まで足を延ばした。
 
 コロナ禍でロックダウン下の南仏マルセイユから日本に帰国したのは2020年3月21日、約7年近くの海外生活が終わった。4月に入って日本政府は緊急事態宣言を出し、その後は引越し荷物の未着や自宅のリフォームもあり、落ち着かぬ日々を過ごした。また、コロナ禍での世相やウクライナ侵略の分析観察に囚われ、海外生活記の執筆は進まぬままだった。己の怠惰故であるが、2022年5月頃からやっと世相世情への拘りから離れようとする思いが湧いてきた。
 
 2022年7月8日、帰国後初の長旅になった沖縄久米島から羽田空港に着いた時、この事件を知った。家族を思うたった一人の若者の銃弾で、宗教影響下のカネ社会「アベノヨノナカが崩れ始めようとしている」と感じた。やっと執筆に取り掛かる気が出てきた。海外旅の資料は膨大で、整理に悪戦苦闘しているが、年末にやっと章立て構想が出来て、年明けから本格的に執筆に入ろうと思うようになった。だが、2023年春から、我が医療訴訟が、弁護士所在不明の解明と裁判の維持に費やされることになった。
 
 一方、3年間のコロナ自粛生活は、我が身体の上下左右の歪みを引き起こしていた。首痛と肩の付け根に始まった神経と筋肉の痛みは股関節やお尻周りに影響、ふくら脛の攣りを引き起こしていた。さらに足裏を支えるのは<指先、母指球、踵>であるが、足裏に張り巡らされた神経を圧迫し、内臓機能の低下まで及んだ。

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