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昭和体制終焉へ=世代論でないアプローチの模索

<昭和体制終焉へ=世代論でないアプローチの模索>
 
  我が畏友の大橋牧人氏から「さっさと昭和を終わらせよう~円安に現れる日本の競争力の低下」とのタイトルの記事が送られてきました。鋭い視点で各テーマの現状分析なされており、短い文構成と端的な言葉遣いで書かれています。「さっさと昭和を終わらせよう」は分かりやすいタイトルで、「昭和体制の終焉」は喫緊の課題と言えるでしょう。 
 そして、我が生き方と立ち位置を何処に置けばよいのか考え込む日々が続いています。
 
 古狐のような昭和世代の価値観が、日本の政治社会経済を牛耳る時代、ここを変革させるものは何かを、海外生活を含めた約十年近く考えていました。コロナ自粛の中でさらに想いは深化していますが、問題は「誰が、何が、変革の要素」となるかです。
 その最初の萌芽は7月にある若者が起こした銃撃事件かと思われますが、もう少しその行動の分析と社会の動向の見極めが必要かと思います。一方、「世代や年代」で分けることに危険性を感じ、ここの区分けをどう言葉で表現するのか考え続けています。文化や教育が作り出す「時代の風や空気」も当然あります。
 
 昭和体制は直接太平洋戦争を経験していない、所謂「団塊の世代の価値観」が作ってきたものと言えます。私は団塊の世代の尻尾にぶら下がって、その生き様の覗きながら生きてきました。その団塊の世代が各界で引退もせず老醜を晒し、その子供たちが「理念ある社会像」をつくれず、さらにその子供たちが現実社会で立ち往生し、ゲーム社会などに逃げている様に思えます。それをどう評価して、凝り固まったその拘りの呪縛を解くのかが最大の課題です。
 
 私は北海道の片隅で高校時代を過ごして「ベトナム戦争や学生運動」の空気を感じ、1970年に上京、アルバイト生活に明け暮れしました。そこで見たものは「時代に動く人々と傍観する人々」がいることでした。遊びや勉強に励む人々を横目で眺めながら羨ましくもありました。
 当時、2割の先端を走る人、黙々と与えられた事を為す人が6割、2割の弱者がいると言われていました。1980年代から90年代のバブル景気は、人々に中流以上の生活を体験させました。
 
 バブル期の不動産開発は負の側面を多々持ちますが、建築資材ばかりでなく、家電や内装を豊かにして産業の発展を促しました。しかし、2000年代から「証券、信託」と言う言葉が消え、投資は「ファイナンス」と名前を変え、金融資産ばかりになりました。「為替と株式」が社会を支える経済要素を、アベノミクスと言う「株式が唯一」の価値観が支配し、一般投資家という人種を生み出しました。ファイナンスは博打と同じで、胴元が儲かる仕組みです。
 
 そして、デジタル経済でも仮想通貨なる不可思議な金融用語が使われ始めています。8年に渡る海外生活中にデジタル化はほとんど進展せず、未だTVCMで会計や人事系ソフトが流れることに唖然としています。また株式投資社会は、内部留保ばかりが増える大企業社会となっているようです。どうやら昭和体制下の役員の評価と報酬は、内部留保=貯蓄で決まるようです。これでは、一般庶民はますます老後が心配になり、貯蓄を増やすことに励むことでしょう。
 
 一方、現在は「中流幻想」が崩れて「富裕層と貧困層」に大きく分かれています。それを作り出した体制をしっかりとえぐり出すとともに、そのことを市井の大衆に知らしめることですが、今のメディアはあまりに富裕意識、上から目線が強いことです。まさに、昭和世代の価値観は日本社会の底流とも思えます。最近はSNS上で、乏しい知識で非難ばかりする人々が増えてきています。そこには理念や哲学は見られません。
 
 わが身を振り返って30歳までは「宵越しの銭を持たない」と粋がって、貯金がほとんどない状態でした、その後慌てて定期貯金等を始め、何とか生活出来ましたが、未だに「死ぬまでお金を残して、どこに持っていくのか」という気分は強くあります。フランスから2020年3月に帰国して、日本のコロナ禍が始まってしまいました。それでも70代は年金と皿洗いのアルバイトで何とか慎ましく生きられると思いましたが、飲食業は落ち込んだままの状況です。
 
 60代の蓄えは肝臓がんの治療費と飛行機代に費やしてしまいました。退職金の運用がありますが、手に出来るのはまだ先のことで、今困っているのはいわゆる現実のキャッシュフローが無いと言うことが付きまとっています。現代の日本社会は「タンス預金でもしなきゃ、誰が老後の面倒を見てくれる?」「年金だってどこまでもらえるやら?」「天下りや渡りが出来たら最高だが」と言った声が実感出来るほど酷いところにあり、庶民にはまるで安心感を与えてくれません。
 
 2005年にミラノからジュネーブに行き、モンブランでゴルフをしていた時、一人の老婦人がメンバーに加わった。私はフランス語が出来ないため、妻の会話からの又聞きであるが、こんなことを言っていました。の老婦人はハーフを終えて帰っていった。まさにお金は貯めるものでなく、回すものだと思いました。
 「私は年金生活だが、週給で働いています。働くのは人とコミュニケーションを取りたいから、ゴルフをするのは健康のため。年金である程度は生活出来るから、週給で得たお金を好きなゴルフをして、社会に還元しているの。だって私たちが消費をしないとお金は廻らないし、若者たちが失業するでしょう。」そ
 
 イタリア人は人生を楽しむために金を使い切るまで遊び、フランス人は老後の準備をして、そのために最もお金を使うと言われます。その金が市場に流れ、若い世代へ受け渡されます。
 日本では、お金に余裕のある団塊世代は消費を活発化させるどころか、蓄財に励み、若者は投資、ファイナンスに自道を上げている社会になったようです。私はコミュニストではないが、今の日本はある意味の共産社会になっているように見えるが、本当はかなりの「利己主義社会」に陥っているのではないかと思えます。
 
 本屋にさえ通わなくなったこの頃、我が書棚にはこんな本があり、再度熟読してしまいました。
「経済はじつは 愛の領域なんだよ。パンを買う金と株に投機する金は違うはずだ」
■エンデの島(2007) 高任和夫 / 光文社(「BOOK」データベースより)
―紀行エッセイの取材のために作家・門倉が訪れた伊豆諸島の奥ノ霧島は、ミヒャエル・エンデのこの言葉をまさに具現化した、理想の島だった。コミュニティの信頼関係を醸成する地域通貨、善意のボランティアに支えられた議会や病院。人間の幸福とは何か? そして、この国が拓くべき理想の未来とは何か?この国の理想の未来が、ここにある―。

 無給で働く町長と議員たち 地熱発電でCO2の排出をなくしたエネルギー供給 菜種油のリサイクルで動くトラックやバス 地域医療に生涯を捧げるUターンの医院長やボランティアの面々 地元民と移住民が共存できるシステムなどなど 国からの地方交付税をアテにしないで豊かに暮らす取り組みは 今の日本に本当に必要なことの数々である。
 

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