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【縄文と天皇】日本人らしさとは

日本人らしさと縄文思想

日本人のアイデンティティや日本人らしさとは何かと聞かれたら、おそらく回答に困る人は少なくないだろう。
日本国籍である、肌の色などの見た目、母語が日本語であることなどを言うかもしれない。

私の結論を言うと、

お天道様が見ているという考え方、謙虚、武士道、盗みをしない、平和主義(平和ボケ)、礼、微生物文化、

などが日本人に特有な「らしさ」と言えるのではないかと思う。

そして、そういった精神性は縄文時代に答えがあるように思う。

縄文時代とは、少なくとも1万年続いた時代であり、いわゆる四大文明(こう教えるのは日本だけ)よりも前の時代の文明である。
決して原始的な生活をしていたわけではなく、技術的にも当時の最先端を行っていたことがわかっている。

そんな縄文時代の人々の精神性とはどういうものかというと、
アニミズム(自然崇拝)、戦争がなかった、支配や上下関係がない、所有ではなく共有、女性を大切にする(土偶は全て女性)、人間は自然の一部であり矮小な存在である、死は自然の循環の一部、
家族(血)より共同体、などである。

どことなく日本人らしさと縄文思想がリンクするのはわかってもらえるのではないだろうか。

弥生時代とはどんな時代か。


天皇云々の前に、縄文時代の次の時代とされる弥生時代とはどういう時代だったのか、弥生人はどういう性質を持っていたのかを紹介する。

・稲作が広く行われるようになり、食料の備蓄が始まる
・農耕=自然のコントロール、自然破壊
・ヒエラルキーが生まれる
・争いや戦争の跡が見られるようになる
・男性中心、男尊女卑的な社会が形成される
・土偶(女性の象徴)が消える

こういった世界が形成されていったことが分かっている。そしてこれらは侵略を繰り返さざるを得なかった大陸的な思想であり、縄文とは全く異なっていることが見て取れるだろう。

ちなみに縄文時代の1万年に比べて弥生時代は600年程度とのこと。

また、縄文時代にも族長やシャーマン的な存在はいたようだが、
あくまで知恵袋的存在、生き字引的な存在であったらしく、
女性がその存在であった集落も少なくなかったそうだ。(卑弥呼がそうではないかという説もある)

天皇がしてきたこと


天皇がどこから来たのかという話題には様々な説がある。

縄文人説、渡来人(半島)説、中国などの大陸人説、ユダヤ人説、など。

ただ、私は天皇が具体的にどこからやって来たのかということにはあまり興味がない。
実際にこの2000年間に何をしてきたのかが、彼らが何者であるかを示すのである。

・神武東征は東征と銘打っているように侵略であり、大和にいた土着の縄文人を◯したり、東へ追いやっている
・天皇は男系男子のみ(一部例外あり)
・記紀にもあるが、2代目以降、皇位継承や権力争いで血を流しまくっている
・天智(百済、南朝)と天武(新羅、北朝)の対立(代理戦争)は鎌倉北条氏、応仁の乱、関ヶ原合戦まで続く
・記紀、神話の作成こそ天皇一族が支配するための正統性を示したもの
・土地は天皇のものであり、許可を得て豪族が開墾(荘園)し、市民がそれを借りる代わりに租庸調を支払うという仕組みを作った(貴族制や奴隷制の始まり)
・征夷大将軍はその名の通り、蝦夷を征伐するために付けられた名前である
・土着の縄文人に蝦夷、土蜘蛛、熊襲などという野蛮な名前をつけ征伐した

これらの思想はおおよそ、縄文人とは似ても似つかないし、
彼らがやってきたことは、世界の王族や貴族と全く変わらないのである。

そして極めつけは、明治維新であろう。

明治維新と天皇


列強に対抗できる国にするために江戸時代までの地方分権を廃止し、天皇や明治政府を中心とした中央集権国家にすることを目的に版籍奉還、廃藩置県が行われた。

前者は土地と領民を大名から天皇に返上させたこと。
後者に関しては、藩というのは、旧国名とも呼ばれるように、徳川に従属しながらもそれぞれの大名が治める国であった。
一方で、県というのは一国の一部であり政府が支配するということ。

そしてこれらに加えて、天皇を中心とした国家を作るために、天皇を現人神とする一神教として国家神道を定めたり、廃仏毀釈をおこなった。

要は、天皇による支配の正統性をもう一度示すために記紀を利用して、日本という国の起源を神話であると宣言したのである。まさに王政復古の大号令。
ちなみに万世一系などという保守が大好きな言葉も明治に言われるようになった言葉である。

そしてこの「神の国」が大戦への道を突き進み、どのような結末を迎えたかは知らない者はいないだろう。

建国神話の大原則


どの国であれ、建国の神話や歴史というのは侵略と支配の正当性を書いたものである。歴史は勝った者が作るのが大前提であり、日本もまた例外ではないというだけのことである。

記紀以前の歴史書がほとんど言っていいほど存在しないのは、支配者にとって都合が悪いからだと考えるのが自然で、これもどこの国でも普遍的に行われていることである。

冒頭の質問に、日本は天皇の元に建国され2000年以上もの間統治されてきた国で、そのことこそが、日本の国体であり、アイデンティティだという人がいるかもしれない。

その理屈で言えば、建国以前の縄文時代などは日本ではなく、そこにアイデンティティはないということになる。

縄文的な価値観はほんの一部ではあるかもしれないが、確かに今の日本人に受け継がれているはずである。

「日本は素晴らしい国だ」と声高々に言っている保守と呼ばれる人たちは、縄文人を駆逐し、支配し続けている天皇を崇拝しているに過ぎない。

私は主に対外国的な観点から、天皇制(この言葉を使うと左翼認定されるらしい)を廃止する必要はないと思っているが、日本人らしさとかアイデンティティを天皇に求めることは真の意味での保守ではないと思っている。

天皇制がたった今無くなったとして、個人の生活とかアイデンティティを失う人がどれくらいいるだろうか。
大日本帝国時代を除いて、江戸時代でも鎌倉時代でもいいが、その時代の庶民が万世一系のお陰で暮らせているなどと感じていただろうか。


結論


自虐史観も皇国史観も問題だし、私はナショナリストでもグローバリストでもないし、フランス革命からの概念でしかない左翼や右翼という言葉でしか物事を捉えられないのは視野が狭い。

人間とは日本人とは、自然の中の塵みたいな存在であり、ある種の自虐性を持っている。それが故に感謝や畏怖の念を抱いたり、謙虚でいられるのだと思う。

どん底に叩き落とされた戦後、追いつけ追い越せで成長した。
made in Japanというブランドをつくった物作り大国ニッポン。
丁寧な仕事をし、満足せずにより良いものを作り続けようとする精神性。

私は、こうした思想を天皇からは見出すことができないし、その必要は全くないと思っている。
偶像や具体的な神的な存在にアイデンティティはなく、
自然に生まれてくる心のはたらきにこそ日本人らしさがあるのではないかと考えている。

「天皇は何者か」と言われれば、「縄文思想を持たない者」というのが私の結論。

ちなみに、パッと浮かぶ限りでは、私が思う日本人らしい人とは、大谷翔平、藤井聡太、井上尚弥である。

彼らは、仮に威張ったとしても誰も文句を言わないほどの成績を残しているのに、全く偉そうじゃない。
それどころか更に強くなりたい、勝ちたいと思っている。

ここに日本人的な自虐性が見える。

終わりに


最後に、日本人(とポリネシア人)が持っている特殊能力について話しておきたい。

それは、「虫の声を左脳で処理する」ということである。
つまり虫の声を言語として理解しているのだ。(他の国の人は音として処理している)

「虫の知らせ」とは現在では悪い意味で使われることが多いが、この言葉があるということは、我々の先住民はもしかしたら虫と会話することができたのかもしれないし、アニミズムなどの縄文思想とも合致するのである。

そして実はこの能力を持つのは日本語(ポリネシア語)を母語にする人に限られ、それは黒人だろうと白人だろうと幼少期に日本語教育を受けていれば同じであることが非常に興味深い。

日本人とは何か?と聞かれたら「日本語を母語とする人」というのは答えの一つかもしれない。

みなさんが考える、日本人らしさやアイデンティティはなんだろうか。

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