遠い道
小学校への通学路は約3キロ、歩いて一時間くらいかかりました。
朝は遅刻しないように、きちんと歩きましたが、帰りは時間を気にしなくてよいので、遊びながら帰りました。
私の隣の集落は、田んぼが山の方に大きく入り込んでいるので、道路もそこで大きく曲がっています。
長い時間歩いて帰ってくると、すぐそこに自分たちの集落が見えているのに、真っ直ぐ進めないのです。
わざわざ分度器の丸い方を行くように、山沿いを歩くしかありません。
「真っ直ぐ行ければいいのに。」と皆で、いつも文句を言っていました。
ある時、誰かが真っ直ぐ行ってみようと言い出し、皆で田んぼに降りていきました。
細い畦道でしたが、ちゃんと歩けました。
ところが、次第に畦が低くなっていき、とうとう田の中に道が消えてしまいました。ひどくぬかっていて、それ以上先に進めそうもありません。
私たちの集落は目の前で、ぬかるみの先には、また畦道が顔を出しています。
「せっかくここまで来て引き返すのは悔しい。」と、なんとかそのぬかるみを渡ろうとしました。
皆で藁や木を集めてきて、それをぬかるみに敷きました。
自分たちで作った道に、恐る恐る足を乗せてみました。踏み込むと、しだいに水が染み出てきます。そこで、なるべく体重をかけないよう、そっと素早く歩きました。こそ泥のような歩き方で、なんとかぬかるみを渡りました。
しばらくして、いつもの通学路に合流し、やっと自分たちの集落に着きました。
靴はびしょ濡れで泥だらけです。
近道したつもりが、時間はいつもの倍以上かかっていました。
その日以来、二度と田んぼに降りることなく、きちんと道路を歩きました。
この話を、近くに住んでいる私より10歳以上大きい従姉妹に話したら、「同じことをやったよ。あそこは、どうしても、真っ直ぐ行きたくなるんだよね。」と言うので、二人で笑ってしまいました。
振り返ると、小学校の6年間はとても長く感じられます。中学・高校を合わせた6年よりもずっと長く感じます。それは、夏の暑い日も冬の寒い日も、毎日毎日、遠い道を歩いたからなのかな、と思います。
今、その道を車で走ると5分くらいですが、小学校は合併されて、なくなってしまいました。
(写真、私の集落から隣の集落。)
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