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昭和40年、野生児、小学校に入る(9) 「音読練習で」

 「自分は先生に嫌われているのではないか」
と感じることが何度かあったが、嫌われていることがはっきりわかった出来事があった。

 その日、国語の授業で音読の練習をした。
読みにくい所があり、みんな同じ所でつかえた。  
 先生が「今日は、読めるようになった人から帰しますから、練習しておきなさい。」と言った。

 帰りが遅くなるのはいやなので、みんな一生懸命練習し、よく読めるようになった。

 帰りの会が終わって、先生が「それでは今から読んでもらいます。S君とY君、前に出てきて。S君とY君は、読める人、と聞いて、手を挙げた人を指してください。指された人は、間違わずに読めたら帰っていいです。」と言った。
 日直などなかったし、読む人を生徒が指名するなどということは、それまでなかったのに、なぜ、その日はそんなやり方をしたのか、不思議だった。

 S君とY君が「読める人」と聞くと、早く帰りたいので、誰もが「はい、はい」と必死に手を挙げる。

 私の地区は学校から一番遠く、子どもの足だと一時間近くかかった。疲れて飽きてしまうので、いつもみんなと遊びながら帰った。
 その仲間が指されて帰っていく。私は、長い距離を一人で帰るのはいやなので、早く指して欲しくて必死に手を挙げた。
 ところが、いくら「はい、はい」と大声を出して手を挙げでも、指してくれない。

 残りが二、三人になったところで、やっと指してもらえた。
 大分時間が経っていたので、仲間はもう帰ってしまっていた。
 
 仕方なく一人で歩いていると、後からS君とY君が来た。私は腹が立って、「なんで俺を指してくれなかったんだ。」と聞いた。すると、驚く答えが返ってきた。

 「先生に、○○は指すなと言われていたんだよ。」と、Y君が申し訳なさそうに言った。

 「先生に嫌われているかも」という漠然とした不安が、紛れもない現実であったことを知り悲しかったが、「やっぱりな」という気持ちが強かった。

 今思えば、私は我が強いうえに、自制心が足りず、思ったことをすぐ口にしたり、行動に移してしまう所があった。先生にとっては、扱いにくい子どもだっただろう。先生が嫌ったのもよくわかる。
 しかし、そのとき、私の心にあったのは、「自分は先生に嫌われている」ということだけだった。

#エッセイ #思い出 #昭和 #嫌われて


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