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28歳の娘、父という友達と行く大阪

私は父が28歳の時に産まれた。
今年29歳になろうとしている私は大真面目にクォーターライフクライシスに浸っているというのに、両親は結婚し親になっていたんだと思うと少し焦る。

28年間は、人生というには薄くて浅い時間にも思うが、決して短くはないこの年月で、私は見事に両親の影響を受けまくり、両親のやることなすことすべて刺されにいって生きてきた。

特に父親の影響はとても大きい。
食べ物の好み、遊び方、物の考え方、性格、そして顔。
そして何より共に過ごした時間だ。
私の父親は、56歳になっても絶望的に酒癖が悪く、精神年齢が小学生という救いようのない欠落点があり、一般的な良い父親像からはかけ離れている部分もあるのだが、母親以上に子育てをしてくれたと感じることが多い。
学校行事や部活動の大会には必ず来てくれ、頼んでもいないのにビデオカメラを回していたし、母親が仕事を休めないときは、母に代わって授業参観や三者面談にも嫌がることなく来てくれた。

補助輪なしの自転車、逆上がり、逆立ち、マット運動、ボール投げ、走り方、ボール投げも全て父から教わったし、勉強の仕方やサボり方まで教えてくれたのも父親だった。
幼い頃、人見知りで内向的だった私には、どのように人と接すれば良いかや、親や先生の言いつけを守るためがんじがらめになる必要がないことを教えてくれたし、逆にたくさんの友達と連日遊びすぎてハメを外しすぎた妹には、ルールや常識の存在意義や社会の仕組み、責任感について説いていた。

そのように子どもに関わってくれた父親のことを私はとても好きだと思っている。
そして、どんなに小さな子どもの意見でも、バカにせず「その考え方は面白いな、すごいな」と聞いてくれたり、悪いことをした時には、どんなに小さくても子ども自身に謝らせ説明させ、子どもの代わりに親が被った責任を噛み砕いて説明してくれたりしたことは、今となってはとてもありがたく、大人でも皆が皆できることではないと尊敬している。



そんな父とは、私が社会人になってから少し関係性が変わった。
私が大学を卒業し地元で就職をすることになり、実家に戻るなり父は私にこう言った。

「4月から社会人だ。ちゃんと就職先を決めたんだからしっかり働くように。同時にもう俺のことを父親と思うな」

(父親と思うな、、、?)
驚愕で言葉も出ない私に父はハキハキと続けた。

「これからは俺のことを友達だと思え」

父親の娘から友達に転向。聞いたことねえ、斬新すぎる。
それから、父親が飲みに行ったり遊びに行ったりするときに誘われるようになったり、相談事は「自分で決めろ」と放棄されたりと、良くも悪くも父親にとって都合のいい友達になった。

しかしながら、友達になってからの父との関係は、かなり良好だ。
お互いに気楽になった。
父親の過去の話や私の人間関係、仕事観や人生観など、変に躊躇うことなく話すことができるようになった。
友達のような親子は、子どもが小さいうちは賛否両論あるだろうが、社会人という節目で友達化するといろいろなステップをすっとばして大親友になれるみたいだ。
一時期は、あまりの酒癖の悪さから毒親だと嫌っていたこともあったくらい距離を置いていた時もあった私が言うので、大半の父娘にハマると思う。というか、他所は親子から友達への移行は自然に行われているのかもしれない。


そんな父と久しぶりに2人で旅行に行ったので記録しておく。

題して「呑んだくれ甲子園観戦ツアー」

私の父は非常な酒飲みかつ熱狂的な阪神ファンである。
しょっちゅう私以外の家族とも試合を観に行く中の1試合甲子園戦についてお誘いを受けた。
コロナ禍で、私自身も趣味のコンサート参戦ができていなかったので「何かを観に行く」という誘いには二つ返事で応じた。


地方在住の阪神ファンの朝は早い。


8時台の新幹線に飛び乗った。
指定席に着くなり、父は酒を広げた。



平日、仕事に行くときと同じ時間に起きた私は、新幹線の中で寝ようと思ったのだが、なんだかんだ会話が弾んだ。

新幹線の中で、父は缶ビールを3本空けた。


野球観戦の時は、父なりのルーティンがある。
私はただひたすら着いて行くだけ。
ありがたいことに費用は全て父持ちだ。
ある意味WIN-WINである。


新大阪駅、新幹線コンコース内の串カツ屋に開店と同時に入店しここでも飲む。
この時点で昼11時頃だ。

そのまま、甲子園へ向かう。
私にとっては初めての甲子園であったため、早めに会場に行き「甲子園歴史館」を見学した。ここが思いの外楽しく興味深かったので、満足度があがった。

歴史館の見学ルート

プレイボールの約2時間前には、座席に着き、スタジアムグルメを堪能した。もちろん酒も飲んだ。


シーズン開幕からの阪神の負けっぷりは、野球に興味のない人にも知れ渡っているほどだったが、この日は見事勝利。

私が応援している高山選手の活躍は観られなかったが、勝利の雰囲気は心地よく、帰りの新大阪駅でも飲み屋に立ち寄った。

最後にお土産を買い、新幹線に乗って帰宅した。
帰りの新幹線でも、途切れることなく会話をした。
異業種で働く父と互いの仕事について話した。

これまで父親が会社でどんな仕事をしていてどんな役職に就いているのか、きちんと聞いたことがなかったが、
「次の日の会議で言うことが思い浮かばなく寝られないことがある」
「上層部とお客さんの板挟みになっている」
など、私と同じように思い悩んでいることがあるのだなと親近感が湧いた。

ストイックに週6でジムに通い続けている理由や
2台目のiPhoneを買うほどポケモンGOにハマる理由、
60歳で退職するのか、65歳まで働くつもりなのか、退職したらどんなふうに生きたいのか、、、、、

普段酒を浴びるように飲んで気楽なもんだと思っていたが、父は父でいろいろなことを考えていることが分かった。
子どもが全員社会人となり、全員が好きな仕事に就き、好きな場所で生活しているように、父にも母にも、これまでもこれからもそれぞれの人生があり、それぞれの時間があることを素直に感じることができた。
子ども全員を4年制大学に通わせてくれた両親には感謝いているし、すごいと思う。
同時に、友達として両親の人間味を知れること、人としての奥行きを知れる今の関係性が嬉しい。両親をひとりの人間として好きだと思えることが嬉しい。

1日中酒を飲んでいる父を見ると、「こんな人からよくもまあ、まともな子が育ったもんだ。子どもがきちんと育ったから好きなことが出来るんだぜー」と言ってやりたくももなるが、子を持つ親としての役割とひとりの人間として人生を謳歌することを両立してきた両親の姿が私の理想となっていることも事実だ。
私もそんなふうに生きたい。

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