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本が好きと言うよりかは、

本が好きというより、本のたくさんある所が好きみたいだ。
幼い頃は読書が嫌いで、少女漫画の月刊誌を買うため以外、あまり本屋に行くことがなかったが、中学生になってから、1か月に何冊もアイドル雑誌を買うようになり、頻繁に本屋に行くようになった。最初は、目的の物を買うだけですぐ退店していたが、いつのまにか店内を一周して、気になった本を取って立ち読みするのが好きになっていた。気づけば2〜3時間経っているなんてこともよくあった。
高校生になると、ブログやケータイ小説など、気軽にネットでも文章を読む機会が増えたし、なんなら自分が書く側にもなってみたりもした。文章を書くのは昔から好きだったので、その文章を書いた人はどんな人なのか想像しながら読むのが楽しかった。

アイドル雑誌にしても、ブログやケータイ小説にしても、文字数で言えば毎月相当な量の活字を読んでいたような気がするが、本を読むことが好きになったのは大学生になってからだ。
相変わらず、本屋にもよく通っていたが、大学時代はとにかく図書館に入り浸っていた。、これも最初は、一人暮らしの光熱費を節約するため、夏休みに図書館に逃げ込んだのがきっかけだったが、大学の図書館はまじで最高だった。居心地いいし、とにかくたくさん本がある。気軽に文章を書いて読めるようになった時代だからこそ、本棚に並ぶ本一冊一冊に著者がいて、その一人一人に人生があって、何かに対して興味や問題意識を持って、相当な熱量があったから本になったんだと思うと尊く感じたし、星の数ほど本がある中で、大学の図書館の本棚に並ぶということがどれだけ凄いことか考えたらどんな文章なのか読んでみたくなった。そして、図書館なら面白くなかったら戻せばいいし、面白い本に出会っても買わなくていい。借りるのにお金もかからないし、多少の延滞なら大目に見てくれる(笑)。おかげでたくさん本を読むということができた。

でもやっぱり、本を読むことより、本屋や図書館に行ってどんな本があるか見るのが好きだなと思うし、本を選ぶ過程が好きだなと思う。

社会人になって、アイドル雑誌は欲しい時だけ買うようになり、自由に使える図書館という場所もなくなり、本を読む時間も減った。でも、本屋には相変わらずよく行く。
ふと、仕事終わりに「本屋に行きたい」と思って仕方がなくなり、仕事が早く終わったわけでなくても気持ちのままに本屋に行き、気が済むまで滞在する。そして、「こんな時間だ」と帰宅して、バタバタして1日を終えることもある。 

そんなことを繰り返していたら、「本屋に行きたい」と思う日に、ある法則を発見した。
「欲しい言葉を探しに本屋に行っている」ということだ。私が本屋に行くときは大抵、何が思い悩むことや考え事が煮詰まったときだ。
もともと考えすぎる性格だ。小さいことすら気になって一人でひたすら思い悩んで、事を勝手に複雑に考えてしまうなんてことがよくある。
常に何かしらに悩んで、答えが出ないまま悶々とした気持ちが溜まっていく。
話したいことを話せる家族や友達も身近にいるし、発散できるような趣味もある。でも、きちんとその悩みの根底を解決できる答えに自力で辿り着かないともやもやが消えない。面倒くさい気質なのだ。とても非効率な人間だ。

本は、私に寄り添ってくれもするし、叱咤してくれもする、慰めてもくれるし、忘れさせてもくれる。
本屋や図書館を徘徊するという行動は、自分が欲しい感情をくれる作品や言葉を探す幸福な時間である。

だから、本の好きな人はこう言うのだ。
「本は友達」だと。
欲しい言葉を探している時点で都合の良い存在かもしれない。でも、その本から欲しい言葉や感情をもらう=その本を手に取ることに偶然性があるではないか。

友達は多くないが、その中のひとりが本だ。
単なる読書感想文ではなく、その本たちとのエピソードを大事にしていきたい。
高尚なものは読まないし、立ち読みばかりだし、言葉探しなんて本を読んでると言えないかもしれぬが、私は私なりに本が好きだ。
でも、それ以上に本という友に出会える場所が好きだ。

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