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【ライブハウスの人】 第4回/栗橋正恵(LIVE labo YOYOGI・制作担当)

ライブハウスの人〜音楽を愛するライブハウススタッフに話を聴いてみた

コロナ禍によって「ライブハウス」はとても厳しい状況を迎えていましたが、そこで働くスタッフたちは工夫と努力を重ねながら、バンドマン、音楽ファンの居場所を懸命に守ってくれていました。四半世紀近くライブハウスの現場を見てきましたが、この人は「プロ」だなと思うスタッフばかり。彼らが培ってきた優れた技術や仕事への情熱は、なかなか世間には伝わっていないようなので、あらためてインタビューを通じて、「ライブハウスのスタッフってスゲェ!」と思ってもらえるように、この企画を始めました。

代々木ラボの総務担当!?

第4回/栗橋正恵(LIVE labo YOYOGI・制作担当)
第4回目は、LIVE labo YOYOGI(以下、代々木ラボ)で制作に携わる栗橋正恵さんを訪ねました。栗橋さんは、2004年12月2日に開業した代々木ラボにオープニングスタッフとして入り、立ち上げから制作として関わり、一時は同店の店長も務めました。そんな彼女にライブハウスの立ち上げ時のエピソードや、ライブハウスの仕事とは何なのか話してもらいました。

●いつからライブハウスに勤めたいと思ってましたか?

栗橋 学生時代はとにかく音楽が好きで、音楽雑誌を読んだり、CDショップに通ったり、ライブを観に行ったりしていました。だけど自分は音楽を演る側ではないとわかっていたので、バンド経験もないし、高校では軽音部じゃなくて陶芸部(笑)。あくまでもリスナーとして音楽が好きでした。将来は音楽に関する仕事をしたいと思っていたのですが、学生の私にはどんな音楽関係の仕事があるのかよくわからず、思いついたのが音響関係か音楽雑誌の記者で、高校卒業した後、前者の音響専門学校に通いました。

2度とライブハウスでは働きません?

●そして専門学校を卒業して代々木ラボに入ったと。

栗橋 いいえ、その前は六本木morph-tokyo(以下、六本木モーフ)で働いていました。代々木ラボに入る2年前に六本木モーフのオープニングスタッフとして入りました。六本木モーフに入ったのは、音響専門学校の講師からスタッフを探しているからどうだ?と言われて応募したところ採用されました。
オープニングスタッフとして入ったのは私のような専門学校卒の若手が多く、店側は経験の浅い若手スタッフだけでも店が回せるようにと、全員にいろいろな役割を担当させました。そのうち制作寄りの仕事を任されることが多くなって、私自身もそれほど音響にこだわりがなかったし、なんとなく自分の適正もわかるじゃないですか(笑)。働くうちにライブハウス全般の業務に興味が出てきたので私は制作に携わることにしました。しかし、同世代スタッフばかりというのは最初は楽しいのですが、若さ故というか、私も未熟だったので、いろいろあって2年で辞めました。これは伝聞なのですが、私が六本木モーフを辞める時、当時のボスに「2度とライブハウスでは働きません」と啖呵を切ったことになってて、さすがにそんなことは言いませんよ(笑)。

●それで代々木ラボに転職を決めたわけですね。

栗橋 それが辞めた時は先のことなんて何も考えていなくて、しばらくは何もしていませんでした。だけど、辞めてから2〜3カ月後に前職でお世話になった方から代々木ラボの立ち上げを手伝ってくれないかと声をかけてもらい、立ち上げに携わることになりました。

みんなでアイデアを出し合ってフォーマットづくり

●代々木ラボ立ち上げ当時のことを教えてください。

栗橋 手伝い始めた時は、まだ代々木ラボも工事中で何もない状況で、ドリンクチケットやチケットの台紙などライブハウス業務に必要な基本から作っていくような段階でした。1日のオペレーションをどうやって行うか、受付手順をどうするか、ドリンクカウンターに必要なものは何か、いろいろ試行錯誤しました。集まったスタッフはライブハウス経験者ばかりで、それぞれが勤めていたライブハウスのノウハウやアイデアを出し合うと、こういうやり方もあるのかと感心することが多かったですね。苦労も多かったですが楽しみながらお店のフォーマットを固めて無事オープンを迎えました。

2004年オープニングのレセプションパーティ風景(栗橋さん提供)

●オープンしてからは栗橋さんはどんな役割を?

栗橋 最初はアルバイトとして、主に制作に携わらせてもらいました。アルバイトながらも任されることが多くて、ライブハウスの仕事にやりがいを感じていきました。
当時、立ち上げをメインに牽引してくれた人が主にブッキングを行っていたのですが、その人はブッキング以外の業務は他の人に任せて「ディレクター」という立場でいたいということで、しばらく店長という役職はありませんでした。そこで、いろいろと仕事を任されていた私が「店長」となったわけです。だけど店長といっても、ほぼ肩書きだけのようなもので、現場スタッフと制作スタッフの擦り合わせや書類作成などの事務処理を行っていました。2009年のスタッフ代替わりの際、店長を代わってもらいました。
その後は運営会社の他事業の手伝いをしながら、代々木ラボで人員が足りない時には受付などの助っ人を行うスーパーサブのような存在です。なんでもやるので周りからは「総務」と呼ばれてます(笑)。
最近はスタッフがみんな20代と若く、私はお母さん目線みたいな気持ちでスタッフと接してます。ライブハウスは若い世代の遊び場という側面もあるので、スタッフの若返りはいいことだと思っています。

ライブハウスは体感する場所

●コロナ禍で大変な時期はどうだったのですか?

栗橋 2020年4月からの緊急事態宣言時は営業がストップしていましたが、ほかのライブハウスの動きを見ながら自分たちが出来ることをやっていきました。配信ライブも見よう見真似で取り組みましたが、最初はiPhoneでやったら視聴した方から笑われてしまいました。それから私がMCのトーク企画やフロアにテントを張ってキャンプみたいな変わり種の配信などやりました。
代々木ラボでは、周年Tシャツなどをよく作っていたので応援Tシャツを作ったり、これまで出演してくださった演者さんたちから楽曲を提供してもらってコンピレーションアルバムなどを作らせてもらいました。おかげさまで多くの方々に購入していただけて、あらためてお客様、出演者の皆さまに感謝です。

●栗橋さんにとってライブハウスとはどんな場所でしょう?

栗橋 ライブハウスは体感する場所だと思っていて、ここに来なければ味わえないことがたくさんあります。コロナ禍で離れてしまった人もいらっしゃいますが、制限のある状況でも足繁く代々木ラボに通ってくれる人もいます。ライブを観ながら、お酒を飲んで、声援を送って、出演者もお客さんも笑って過ごせる空間に戻ることを願っています。古くから来てくれる人、そして新しい人にもライブハウスに来て欲しいですね。

まとめ

代々木ラボはオープン間もない頃から撮影していて、独特の吹き抜けと充実した照明設備が撮っていて楽しいハコです。ほかにはない雰囲気のライブハウスだったので、1度お話を聞いてみたいと思っていました。今回、代々木ラボで行われたTri-Uncleのワンマンライブの打ち上げで栗橋さんとご縁ができたので取材を申し込ませていただきました。
温厚な笑顔で出演者からの信頼も厚い栗橋さんのような存在が、演者にとってはリラックスした気持ちとなり、いいパフォーマンスに繋がるのだなと思いました。

※「ライブハウスの人」ではインタビューさせていただけるライブハウススタッフを募集しています。自薦他薦問いません。

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