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現場の神様も大卒じゃなきゃダメ?|実力も運のうち

こんにちは、ヒヅメです。

実力主義ってなんかまあ聞こえが良いですよね。
しかも「実力を発揮するためのチャンスは公平にします」なんて言われたらますます聞こえが良いですね。

そんな常識に対して「実力も運のうち」の作者は本書の中で

「本当に公平かなあ?結局運の良い環境に生まれた人に仕事が固定化されるんじゃない?」

「そもそも実力主義は勝者を傲慢にし、敗者へ屈辱感を与えてない?」

「そうやって分断された社会って正しいの?」

と疑問を提起し、

「大学の入学選抜方法を変えること」

「労働者の可処分所得を向上させ尊厳を守ること」

「金融取引に対して課税を強化すること」

等を代替案として提案していました(僕はそう読めました)。素晴らしい気づきが多い中、代替案についてはいまいち腹落ちしなかったんですよねー。

アメリカの建設現場で現場設計者として働いていたことがあるのですが、設計図面は「さすがエリートが作った図面」とも言うべき非常に精巧なものなんですよ。精巧なシステムとは裏腹に作業マニュアルは「IKEAの家具かよ」ってくらい分かりやすいんです。

複雑なシステムと分かりやすいマニュアルと聞こえは良いのですが、これってつまり現場の作業員に大した期待をしていないんですよ。誰でも作業出来て、いつでも人員の替えがきくように。当然現場作業員からのボトムアップも期待していない。

かたや僕の知っている日本の現場には「現場の神様」みたいな人がたっくさんいて(まあここ10年くらいで圧倒的に少なくなりましたけど…)、彼らの言うとおりにやるとびっくりするくらい綺麗にモノがおさまるんです。図面も現況に合わせてブラッシュアップすることが前提でした(元職場ではこれをマークアップ図と呼び、次回の類似工事の時に真っ先に参照される図面になります)。つまり設計フロー自体に現場からのフィードバックが前提として組み込まれているのです。

ちなみに神様と言っても見た目はごく普通の工事屋のおっちゃんで、下請企業のそのまた下請企業の所属だったりします。当然大学も出ていなければ高校だって怪しい。それでもある程度は稼げているし、現場に対しても「俺がやるからには下手な工事はしたくない」くらいの自負を持っています。

またアメリカに戻りますけど、少なくとも僕が見た現場にはそういう神様はほとんどいなかった(特に下請になればなるほど)し、「エリート様が描いた設計図やマニュアル通りにやればいいんでしょ?」という人が多かったです。まあ実際労働者として働く分にはそれはそれで楽なんですよ。

そんな背景があるので

「所得を増やして労働者に尊厳を」⇒「エリートのトップダウン社会に現金をプラスしたくらいで労働者が尊厳を持って働けるかなあ?」
「大学の入試方法を変えよう」⇒「結局は大学行かなきゃダメ?」

…という疑問を持ってしまうんです。

僕は現場の神様の凄さを身をもって知っていますが、ああいう知見ってアカデミックな検討の中では生まれにくいんじゃないかなあと思うんですよね。現物に長い期間向き合うことで磨かれる感性というか。

現場の神様を大卒にしたところで、結局大学の枠に入りきれない労働者は存在するわけで、そこに著者の言う「勝ち負け」は存在し続けるんじゃないかなあと。

日本の(というか僕が見てきた)設計という概念では、高学歴エリートと現場の神様は意見が汲まれるという意味で対等だし、相互の交流があったからこそよりよい製品を生み出してこれたと思うんです。資本社会的に給与の差はあれど、ある程度満足する報酬も得られるべきだし。

…なのでこの本は、日本においては問題の解決まで期待するものではなく、エリート偏重になった社会(日本も徐々にそうなっていると思うし)に対する気づきの書として読むのが正しいのかなと思いました。

本書に書かれている気づきとして

  • 能力主義は不平等を再構築する1つの手段でしかない

  • 能力主義は勝者と敗者を結果的に生み出してしまう

  • 敗者の勝者に対する不満がポピュリズムと呼ばれる現象の要因となった

  • 勝者は謙虚さや自身の運に対して感謝をすること

と言った点があったけど、それは本当にその通りだと思う。

なんかまあ、とりとめのない雑感なんですけど、一度エリート偏重になった社会が現場を大切にするようになるには非常に時間がかかると思うので、日本は「アメリカではこうなんだから日本もそうしよう」という意見が独り歩きしないことを願うばかりです。

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