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正しいという暴力

そんなつもりはなかったと、いざとなれば言うのだろう。

職場に、歯に衣着せない物言いが売りの、50がらみの男性がいる。べらんめえ口調でずけずけと喋り、最後はガハハと笑う、豪快なおじさまだ。私自身は風来坊の助っ人要員であるため、チームメイトではない。何度かご一緒したことがあるが、勝手のわからない現場での振る舞い方諸々を指南いただいたことがある。
その方をめぐり、社内で問題になっているらしい。仲良くなった取引先の女性と世間話をしていた際に、失言でその女性を怒らせたようだ。取引先の上層まで話は届いていないようだけれど、それまで友好的だったその女性から、他のスタッフまで無視をされるようになったとの事。

取引先の方を不快にさせ、謝罪をしていない、という点は問題だろう。男性本人は失言という意識がないため、不快にさせたことすら気づいていないのかもしれない。会社側としては現状を把握し、男性にも確認した上で、速やかに対応するべきだと思う。

それは別件として、違和感を覚えたのは他のスタッフ達の対応だった。ヒアリングに来た社内の上役へ状況報告をしているのが漏れ聞こえてきて、それは部外者である私にもまるっと語られた内容であったのだけれど、事実と共に建前として語られる言葉の裏にまで、別の思惑が含まれているほうが気になって仕方がなかった。

一般的に考えて有り得ないでしょう、あの人はいつもこういうことを言う、普通はこうすべきなのに、○○さんもそう言っていた、そんな人と同類だと思われるのは迷惑だ。私は正しい、あの人は正しくない。

正義といえば聞こえがいいけれど、他人を巻き込まなければ主張できないことは本当に正義だろうか。正義であれば、何をしてもいいのだろうか。耳障りの良い言葉で包んで、聞く者を操ろうとしていないだろうか。自己顕示欲が含まれていないだろうか。
一般的に、普通は、強調される多数派。同調圧力、異物を排除しようとするうねりの始まり。同調しなければ異物と見なされ、同様に破棄される。さんざんいじめられた学生時代を揺り起こされてしまい、薄暗い気持ちになった。悪目立ちしたり些細な失敗をほじくられては寄ってたかって叩かれた。叩いてきた大勢の内、叩けるほどに私を知っている人間が、果たしてどのくらいいたのだろう。

どちらの立場からも物事を見ようと努め、力の強い方に流されて同調しない。多感な時期に長い間、虐げられる側に立った人間の譲れない正義。非力さは否めないが、そこからだと思う。それに人ひとりなんて、元々その程度の力しか持たないはずなのだ。

正義という暴力は、ほんとうにあちこちに潜んでいる。力で来られたら、人ひとり潰すことはたやすい。ニュースでもよく見かける事案だけれど、たいていは正しいとされる側ばかりが報道され、煽動され、反対側の意見は聞こえないように仕立てられている。


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