見出し画像

黒猫ドライガー

ドライガー、と名前をつけた馴染みの黒猫がいた。人間でいうところの八重歯が片っぽだけ、ドライバーみたいに伸びていた。

最寄り駅から商店街を抜けた先の青梅街道、そこから少し入った先に、いかにもな猫屋敷があった。古い2階建の木造家屋、住人がいるのかいないのかわからないくらい古い家。お庭でも屋根でも、いつでもいろんな猫がうろうろとくつろいでいた。

暮らしていたアパートの手前に、その猫屋敷はあった。敷地につながるぼろぼろの階段の暗がりに、ドライガーはいつも丸くなっていた。古いコンクリ階段の3段目、楕円形に空いたくぼみにすっぽりおさまっている様は、夜通るとそこだけ深い影のようにみえ、ぱっと見ただけでは、生きた猫が丸くなってるとは思わない。通りがかりに突然くしゃみが聞こえてそちらを見ると、のそりと黒い影が動いたので、はじめはひどく驚いた。

毎晩の帰り道、階段の下でしゃがみこんで声をかける。ドライガーはコンクリのくぼみから起き上がって階段を降りてきて、座り込む私の周りをぴったりゆっくりぐるぐる回るのが日課だった。くしゃみはよくするけれど、あまり鳴かない。鳴くときはごくたまに、弱いしゃがれ声で鳴いた。
立ち上がると、私の2本の脚のあいだを、8の字を描きながらさらにぐるぐる回り、なかなか離れなかった。抱かれるのはいつでも嫌がったけれど、一回だけ無理やり抱き上げたら、身体はがりがりに痩せていて、毛並みはごわごわのぼさぼさ、近くで見たら年寄り猫だとわかった。しょっちゅうくしゃみをしては、至近距離から盛大に鼻水を飛ばしてきた。

ドライガーには境界線があった。コンクリのくぼみから一定距離はなれると、急に歩みをとめる。薄暗がりではすりよってくるのに、街灯が道路に落とす丸い明かりのなかには、決して入ってこない。そうして、私がその先、アパートのある方へ進むと、私をじっと見つめながらも、もうついてこないのだった。

アパートで過ごした10年のあいだに、猫屋敷は取り壊された。突然なくなった屋敷の跡地は駐車場にかわり、しばらくはいろんな猫がうろうろしていたけれど、みんなどこかへ行ってしまった。ドライガーのコンクリのくぼみもなくなった。いつの間にか、ドライガーもいなくなった。

明るい月は平気みたいだったドライガー。満月をみると、ドライガーを思い出す。

猫屋敷のそばで暮らした10年。
アパートを後にしてもうじき2年になる。

#日記 #エッセイ #黒猫 #猫屋敷 #満月

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?