【女優とゲイと私たち】3.女の園
新宿駅の東口と西武新宿駅のあいだ、大通りにはさまれた細い路地にひっそり佇む喫茶店「浪漫珈琲」。ひっそりしすぎて入り口がわかりにくい割に入るとかなりの奥行きがあり、1階は10個のテーブル席とカウンター10席、地下フロアにはゆったりとしたソファ席を大小取り揃えている。ひとつひとつのテーブルも広くどっしりとしているので窮屈感がなく居心地がいい。ひとりでふらりと立ち寄る常連のお客さんの他、昼間は打ち合わせらしきスーツ姿の人たちやショッピングか観劇帰りの奥様方、夜はキャバ嬢の同伴や飲み会帰りの酔客で、ひっそりしている割にはそれなりに混んでいる。
深いブラウンで統一された店内は「大正ロマンあふれる純喫茶」のイメージそのもの。非日常感を味わってもらうために、事務的なもの、現代的なものは一切目に入らないよう配慮されている。店内に配置された使い込まれたような茶箪笥や行灯、飾られた竹久夢二の絵。店内の照明はやや暗め。実際はオープンして7年程度なのに、徹底した雰囲気づくりは成功しており、たいていのお客さんには新宿に古くからある喫茶店として認識されているようだった。イメージは大切だ。
イメージに沿った役柄を演じられる時間。私であり私でない時間。浪漫珈琲でのウエイトレスの仕事を、私はこよなく愛している。
ロッカールームで、白シャツの衿元にりぼんを結び、グレーのベストと黒いロングスカートを身につけ、仕上げに白いサロンをきゅっと巻き付ける。縦にならない綺麗なちょうちょ結びを後ろ手でつくり、さいごに鏡で自分の顔と全身を確認する。派手さはないけれど、小さくて切れ長の二重まぶたに小さい鼻、小さい唇。こじんまりと整った顔立ちは、まあまあいいんじゃないかと思う。黒いショートボブ(要はおかっぱ)のせいか、レトロな童顔のせいか、歳の割に落ち着いてみえるせいか、私にはこの制服が妙に似合う。それはお店のイメージに合っているということで、とても安心することだ。自信をもってフロアに立っていられる。店にとけこみ、くつろぎの時間を提供するための黒子。
「控えめで奥ゆかしく優雅な所作、大正時代のメイドさん」というイメージをぶれずにまとっていれば、なにがあろうがいつも通りの私だと、皆は認識してくれるだろう。
夕方から盛大に降り出した雨は、夜になっても勢いがおさまらず、ざんざんと気持ちよく降り注いでいた。梅雨入りしても梅雨らしい雨が降っていなかったので、帳尻合わせみたいだなと思いながら窓から外を眺めた。蒸し暑さがないから、涼しくて心地いいのが救いだ。まだ夜の9時だというのに、歩道を歩いている人はほとんど見当たらない。地下通路に人が流れてしまうので、雨の日は店が自然とひまになる。店内はぽつぽつと埋まってはいるが、動きはない。早上がりになるかもな、と思いながら厨房に戻った。
「なつみさん、無事引越し終わりました?」と、中西くんが笑顔で声をかけてきた。
「うん、ありがとう。おかげさまで」と私も笑顔で返す。
「ルームシェアだからね、そんなに荷物を持っていけなくて。家具とかほとんど実家に送り返したよ、置けないし」
「まじですか、なんかわけてくれればよかったのに。電子レンジとか」と中西くんは笑った。
深夜番メインの中西くんは、終電あがりの私とシフトが重なる時間は少ないけれど、唯一の同期という縁があり、顔を合わせるといつも気さくに声をかけてくれる。バスケで青春!というイメージを固めて細長くして制服につっこんだような爽やか青年だ。大学を留年して学費を自分で稼いでいるといっていた。
「レンジなくて成り立つって、男の1人暮らしって感じでいいね」と私は言った。
「へんな褒め方しないでくださいよ、寂しいもんですって。いいなぁルームシェア。賑やかで楽しそうだし、友達増えそうだし」と中西くんは言った。
「そうだね」
「落ち着いたら遊びにいっていいですか?すごい興味ある、女の園」
「女の園って。そんないいもんでもエロいもんでもないよ」私は笑った。
「いいじゃないですか夢見たって!なつみさんの私生活、超ナゾですもん」と中西くんも笑った。
今度ね、と笑って受け流していたら、事務所から店長が出てきて、案の定早上がりを打診された。申し訳なさそうに、ごめんね、ケーキどれでも持って帰っていいから、と言われたので、喜んで承諾してショーケースを見にいった。うちの店のケーキはどれも本当に美味しいし、なによりでかい。
笹塚に着き、雨の中さんざん歩いてようやく家についた。これはもう、最寄り駅は笹塚でなく方南町だろう!あの、丸ノ内線の短い枝毛の先っぽな!ただ笹塚に住んでるって言うよな、その方がかっこいいからな!と心の中で悪態をつきながら歩きとおした。道がまだうろ覚えだったので小路を曲がり間違えてしまい、雨の中住宅街で迷いまくった私はより不機嫌に仕上がっていた。ドアの前に立ったとたん、ものすごく騒いでいる声が聞こえてきて、残念感で膝が抜けかける。気をとりなおして傘をたたみ、インターホンを鳴らす。合鍵をつくらなくては。
「は~い!おかえり~~!」
酔っ払い最高潮のテンションで、トモヤがドアを開けてくれた。室内のむわっとした熱気と煙草の匂いと男臭がもれてきた。外の方が涼しい。外にいたい。玄関の向こうのリビングには、小さなちゃぶ台が引っ張り出されていて、見たことない顔ぶれと見知った顔が揃って真っ赤に出来上がっているのが見えた。
「なんだよ、なんの騒ぎ?」靴を脱ぎながら私は言った。
「うふふ。合コン♡」とトモヤは高い声をつくって言った。
どうもー、こんばんはー!と口々に挨拶してくれた2人がお相手なのだろう。もう1人の酔っぱらいは同居人のカズだ。ほぼつぶれているがかろうじてオネエ座りをキープしている。全員揃うと、まあまあのおっさんたちのご機嫌な会合だ。坊主半数、全員ヒゲ。
合コンかよ!!
酒は大五郎ボトル(2700ml)オンリーかよ!
そんで、つまみが奈良漬けとイカソーメンって、渋すぎんだろうが!!
心の声だけMAXに響かせながら、笑顔を返した。同席を勧められるも丁重にお断りし、持ち帰ったケーキの箱を冷蔵庫に無理やりつっこんでから奥の部屋のドアを静かに閉めた。風呂は朝だな。拭くだけのメイク落としシートで化粧を落とし、きがえて濡れた服を丸めて隅に置き、布団に入った。
女だらけのルームシェア、実態は女+ゲイ(外見と匂いはおっさん)の同居生活。寝る間際、女の園、という中西くんの言葉がよみがえった。
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