ちょっとずつでも、進んでる
年末の駅伝以来、ランニングをさぼっていたので、無性に走りたくなった。陽が落ちる前に急いで支度し、近所の大きな公園へ向かった。さすが野ざらし、月曜に積もった雪はふんだんに残っていた。
ランニングコースの途中も、アイスバーンが多々残っているので本来まっすぐ走れるはずの道幅はかなり狭くなっていて、思うように走れない。
夕暮れがせまり、走ってないとよけいに寒い。足は焦るのだけれど、場所によっては追越しすら難しいようなコース上を、ランナーも、自転車も、フリマ帰りなのか大荷物の家族連れも、思い思いのペースで進んでいく。結果的に、急いで走りきって帰ろう、という気持ちは出鼻からくじかれた。
コースの状態がよければ、思うさま走れるし、道の狭いところでは足をとめてゆずりあう。足元がつるつるに滑るようであればゆっくり歩くし、障害物があれば、回り道をするほかない。
こういうことかな、とふと思った。
なにをするにも、自分のことばかり考えて、好きなように進むことは出来ない。状況を読んで、ときにペースを落とし、この先に向かうために今できることをするということ。
いままで私は、心も体も、周りのことも、きっと思ったよりも置いてきぼりで、ひたすらつっ走ることばかりを考えていた。
素直に、私が休みたいだけ休めば、周りも気兼ねなく通常営業できるだろう。大丈夫だと言い張って、結局大丈夫ではなかったのだから。
私が休んでいても、仕事をかわることになっても、別にひとりではない。
涙もろいのは、普段より心がやわらかいせいだ。
夕暮れの公園で、ひとりで、なんだか妙に納得した。
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