【女優とゲイと私たち】4.別れ
ルームシェアをしてみたかったのか、と聞かれたら、答えは否だ。断然、否である。知っているひとだったならまだしも、いや、知っている人でも相当好きな人か一緒にいて苦痛でない人でなければ難しいと思う。
ではどうして、見ず知らずの他人とわざわざ同居生活をする流れになったのか。
A:家がなくなったから
B:お金がなくなったから
C:選択肢がなかったから
正解は、ぜんぶ。言っていて情けなくなってきた。
そもそもの発端は、家に警察がのりこんできたことから始まった。その日は休みだったので、一緒に暮らしている彼氏と大寝坊を決め込んでいた。昼頃、玄関のインターホンが鳴ったので目を覚まし、どうせまた新聞セールスか何かだろうと思って最初は無視していた。その後も10分ほどインターホンが鳴りつづけ、さすがにおかしいなと思っていたら、がちゃがちゃと鍵が開く音がした。あわてて彼氏と玄関先に出たら、警察の人がマンガみたいなぶっといハサミでチェーンを切ろうとしているところだった。チェーンごしにお巡りさんと目が合い、瞬間お互いフリーズした。何をどうしたらこんなことに?
理由は、彼氏の家賃滞納だった。
彼氏のアパートに転がり込んで暮らしていた私は、家賃と光熱費の半額を毎月彼氏に支払っていた。ところが彼はここ2ヵ月ほど家賃を振り込んでいなかったらしい。普段遠方に住んでいる大家さんは、何度か電話をかけるものの彼と連絡が取れず、保証人であるご両親に連絡を取るも以下同文、大家さんはご年配のご夫婦でありアグレッシブに動くことがままならずしばらく様子見をしていた結果、孤独死でもしてたらとんでもねえということで警察を引き連れてはるばる訪ねてきた、という事だった。さらに、単身者用アパートなのに女と2人暮らしをしていることがばれて、大家さんのいろいろな怒りは玄関先で沸点に達した。
「1週間以内に出ていけ!!」と大家さん(じいちゃん)が怒鳴り、悲しそうな目で大家さん(ばあちゃん)に見つめられ、今にも舌打ちしそうな警察官たちに呆れられながら、私はぼんやり玄関先で突っ立っていた。開け放たれたドアの向こうに、パトカーが停まっているのが見えた。その近くでご近所さんが2人くらい立ちどまり、何事かとこちらを見ていた。隣にいる彼氏を見たら、寝起きのものすごいくせ毛頭のまま、なんとも読み取れない表情で佇んでいた。
「ごめん…」と、静かになった部屋で彼氏に頭を下げられた。
猛然と怒りが湧いた。起き抜けに、知らない人たちに怒られたのも訳が分からないし、じろじろ見られたのもものすごく恥ずかしかった。何があったのか。どうして何も言ってくれなかったのか。どうするつもりだったのか。そして、私が渡していたお金は。
「実は、転職しようと思って、もう随分前にバイト辞めたんだ。もうちょっと稼ぎのいいところで働きたくて。でも、バイト辞めたのに、転職の話、なくなっちゃってさ。そうしたら、なんかもう、なにもやる気が起きなくなって…」と彼はぼそぼそと言った。
「…お金は?私、渡してたよね毎月。それはどうしたの?」と、問い詰めないように気をつけながら、ゆっくりと私は伝えた。
「増やそうと思って、スロットに…」と言いながら、彼は黙って泣き始めた。長くつきあってきたのに、泣いている彼は初めて見た。喧嘩して家出した彼に後日「多摩川で泣いてきた」と言われたことはあったけれど。
もうだめだ、私たちはだめなんだ、とそのとき悟った。
言いたいことが山ほどあるのに、ぶつけてやりたい言葉がたくさんあるのに、どの粒も大きすぎて喉を通ってこない。感情が昂っているときは、言葉がぐるぐる渦巻いてても、どれ出していいのかわからなくなるのだな、と冷静に分析する自分がいた。目の前でうなだれる彼氏の、見慣れたくせ毛頭を見つめながら、言葉の代わりに涙があふれてくるのを感じた。顔がとても熱かった。
舞台女優を志して20歳で上京してきた私は、21歳のときに彼と共演した。九州出身の濃い顔立ちと、背はさほど高くないものの鍛え上げられた体躯を持つ彼は、女性ファンがとても多い俳優だった。見た目の華やかさのわりに素朴で優しい面があり、とりこまれないように気をつけていたのに、ついうっかり惚れてしまった。彼もまた、若いくせに若々しさの薄い、影がある私の雰囲気に惹かれたといい、そこから時間はかからなかった。片時も離れていたくなくて、当時のアパートを引き払って彼氏の部屋に転がり込んだ。毎日毎日、好きな人と一緒にいられるのが嬉しくて楽しくて仕方なかった。お互いお金もなかったから、デートはもっぱら近所のゲオや商店街だったけれどかまわなかった。彼が舞台に出れば観に行き、舞台上で輝く彼を見つめて最高だと惚れ直したり、相変わらずのモテっぷりを横目で見ながらやきもちをやいたり、それをなだめられることで愛されていると思ったり、バイトを紹介してもらって、付き合っていることを隠して一緒に働いていたり、していた。付き合い始めた頃、もう7年も前のことになる。
楽しいことが大好きな2人は、楽しくない事が出来ない2人でもあった。舞台で演じることに情熱を注げなくなり、身体を壊したことをきっかけに私は女優をあきらめた。彼は彼で、俳優仲間同士でもめ事があったらしく、同じく舞台から遠ざかった。舞台から離れた彼は輝きを失い、どんどんくすんでいくように見えた。彼にとっての私もそうだったのだろう。お互いがお互いの刺激になりすぎていたから、気が抜けたような毎日はとても退屈に感じた。仕事をするにしても、毎月暮らしていける分さえあればいい、というゆるさで、定職につこうとか、ちゃんと就職しようとか、しなきゃいけないと思うのにがんばる気持ちが起きない。なんのために?と思ってしまうからだ。
いつからか結婚という言葉を避けるようになった。ここからどこを目指せばいいのかわからなくなっていた。もう一度、この人をものすごく好きになれることがあるんだろうか。わからない。お互いがそう思っていた。他に好きな人が出来ることもあった。だけど、別れるほど好きになれる人はおらず、いつも天秤は彼氏のほうに傾いた。
一緒に暮らしていると、変化が怖くなる。出ていくのも、出て行かれるのも怖い。好きかどうかはもうわからない。けど、一緒にいるのはさみしくないし楽だから、もうしばらくはこのままでいい。
いつまでこんな関係を続けていくんだろうか自分は、と思っていたところに、とんでもない方向からぶっこまれた爆弾。私の部屋ではないのだし、退去命令には従わなくてはならない。家を引き払うにあたり、引越し代や不用品の引き取りなど、私が全部もった。実家には同棲のことも知らせていなかったから、ただ引越すことになった旨を母にメールし、転居先は落ち着いたら知らせるとだけ書いてうやむやにした。彼は、神奈川の実家に帰るといった。
私は、住む家も、彼氏も、お金も一気に失った。
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