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きりがないから

自分を認めてほしいと思う「承認欲求」について、ここしばらく考えている。過去の少ないとは言えない諸々の失敗についても、今思えばこの欲求が高すぎることが要因だった。そうして、自分でそれを認められるようになったことで、だいぶ楽になってきたように感じる。

幼い頃から厳しくしつけられていたため、褒められることよりも、戒められ釘を刺され頭ごなしに否定されることが多かった。幼少期から高校を卒業するまでの長い間、いじめられっ子として過ごしてきた。その経験が悪かったとは決して思わないし、充分愛情をもらって育ってきた。けれど、いまの私の影の部分をかたちづくる経験であったことは間違いない。

働いていれば、与えられる役割をこなすことで社会的には認めてもらえる。だから途切れなく働く。役割のあいまはからっぽになるから、隙間があかないようにどんどん詰め込む。認めてもらえないと思ったら認めてもらえそうな次の居場所を探す。
好きだと言われたら嬉しくて、それだけで全部を明け渡してしまい、相手に寄りかかりすぎて結局関係が破たんする。
人の意見に左右され、顔色を窺い、右往左往していると、自分が考えていることが本当はなんなのかが見えなくなる。見えなくなることに気づかず、振り回されつづけてくたびれてしまう。くたびれるから、1人の方が楽だと感じてしまう。けれど1人になることが不安で、しかたなく集団に属する。
役割を演じることはうまくなったけれど、むき身の自分として、他人とどう向き合ったらいいかはわからない。長らくそんな風に過ごしてきたように思う。

もういいんじゃないか、きりがないから。誰かに褒めてもらおうとしなくても、人の目ばかり気にしなくても。私が私に誇りを持っていればいいんじゃないか。私自身に恥ずかしくないようあればいいんじゃないか。
よく生きてきた、がんばった。生きていたくないと何度も思ったけれど、生きていてくれたおかげで、いま私はけっこう楽しい。これからも楽しくたくましく生き抜いてやればいいじゃないか。

このnoteも、外へ向けた発信より自分の内部のための作業、思考を言葉にする練習のために綴っている。誰にも見てもらえなくなったとしても、書き留め続けていくだろうと思う。もっとうまく言葉を紡げるようになりたいから。
ただ、共感してもらえたりコメントをいただけることは、掛け値なく嬉しい。
ありがとうございます。


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