映画『バジーノイズ』と「解放」

序盤のあらすじから「解放」

マンションの管理人をしている清澄(川西拓実/JO1)。
仕事場でもあるマンションの1階に住んでいる。
誰ともかかわりをもたず、朝起きて管理人室へ入り出勤の報告をして、時間になれば退勤の連絡をする。
で、ひとり部屋で音楽制作をしている。
ときおりヘッドフォンを外して、スピーカーから音を出している。
当然、クレームがくる。
でも、そのもれている音楽をひとつ上の部屋に住んでいる潮(桜田ひより)は、好きだといってくれた。
清澄の部屋のベルを鳴らす潮。
そして玄関ドアをたたく。
清澄は無視を決め込む。
するとベランダ側のガラスを割れた。
そこに潮が立っていた。
「海へいこ」と誘う。
清澄が解放される瞬間である。

ざっとこんな感じで始まる。

自己肯定感が楽しさにつながる

潮がとにかくよくて、基本ひとりでいる清澄の自己肯定感をあげてくれる。
誰に聞かせるわけでもない、自分のためだけの音楽。
「独りよがり」の宅録。
それを好きと言ってくれる潮。
「二人よがり」になる。
こういう自己肯定感が低い男には、強引なくらいの女がいい。

人見知りで、自己肯定感低めの私は、かなり序盤で泣いていた。

清澄の音楽をSNSで拡散。
バズって、仲間ができて、ライブをして、仕事の依頼がくる。

ひとりで楽しむだけの音楽が、誰かの役に立っている。
喜んでくれる人がいる。
清澄が笑って楽しそうに演奏している姿がとても幸せにみえる。

清澄のやりたかったことはこういうことだったのだろうか。
幸せなのだろうか。
閉じこもって依頼をうけた楽曲製作を続けている清澄を潮は、もう一度解放する。

映画としては、展開のラストもベタだと感じたのだが、幸せについて考えた。

「解放」について

鈴木祐の『科学的な適職』には、「職業選択の七つの大罪」のひとつめに「好きを仕事にする」がある。
好きな仕事をしても幸せにはならない。
この本にも「好きを仕事にした人ほど長続きをしない」とある。

自分のまわりを見渡すまでもなく、私の兄は「好きな仕事」をすると言って、身体をこわして入院中である。

『バジーノイズ』の潮の存在に泣けるのは、自分を見失っている人には、潮が必要だと感じたからだろう。
潮は「解放」してくれた。
部屋の中から外へ。
物理的にも精神的にも清澄を「解放」へ導く。

2024.05.06-GO1


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