なぜみんな演技という異常な行為ができているのか?
この文章は俳優・ライターの日和下駄による自主稽古『ぼくのメソッドを探して』の背景を説明する意図で書かれました。
が、長くなったため、分割して一つの記事になっています。演技って難しいねって感じの話です。
どうやって演技をすれば良いのかわからない
演劇を始めてからかなりの時間、「どうやって演技をすれば良いのか」わからずにいました。もちろんなんとかしようと、周囲に話を聞いたり、本を読んだりして、言われた通り、書いてある通りにやってみたりもしました。しかし、どうにもうまくいきません。
ただ、いろいろやっていく中ででわかってきたこともありました。それは、どうやらぼくは「書かれた言葉をまるで話しているかのように口に出す」という行為を異常な行為として捉えているようだ、ということです。
ぼくはそれがどうしてできるのかよくわからず、つまりはできず、しかしだからこそ気になり、可能ならできるようになりたいと思っていました。
また反対に、どうやら周囲の俳優は「書かれた言葉をまるで話しているかのように口に出す」という行為をそれほど異常なことだと思っていないらしい、ということもわかりました(もちろんぼくが出会った範囲なのでみながみなかはわかりません)。
彼らにも悩みはあるようでした。しかしその悩みは、ぼくよりはるか先の、どのようにしてセリフをより豊かに口に出すのか、どのようにしてお客さんをより楽しませるのか、そんなところで悩んでいるようでした。なぜぼくが悩んでいるようなことを無視できるのかを尋ねてました。しかし具体的なことはなく、「ただ」「普通に」そして「なんとなく」といった言葉が返ってくるだけでした。
これが演劇を始めてしばらくのぼくの悩みでした。難しく書いていますが、まあ要はいわゆる自然な演技ができない、つまり演技が下手なことに悩んでいたということです。
カゲヤマ気象台との出会い
しかし、転機が訪れます。それは2017年のこと。当時、演劇プロジェクト「sons wo:(さんず・うぉー)」の代表をしていた、演出家・劇作家のカゲヤマ気象台との出会いがきっかけでした。
彼はどうやらぼくと同じく演技を異常な行為として捉えているようで、どのような態度で望めば、その異常な行為を行うことができるのかを教えてくれました。彼の言葉はとてもよくわかり、かつそれはぼくにとってかなり「できそうな」ものでした。
そこから彼の作品に出るようになり、彼の言葉をもとに自分なりの演技の方法を身に付け、現在は彼が代表を務める演劇プロジェクト「円盤に乗る派」のプロジェクトメンバーをしています。
さあ、これで問題は解決だ、めでたし、めでたし……と言いたいところですが、そうではありません。なぜならいまだ書かれた言葉を「まるで話しているかのように」口に出すことはできないままだからです。
実のところ、カゲヤマ気象台が教えてくれたのは、演技という異常な行為を異常な行為のまま行う方法でした。そのため、口に出された言葉はお世辞にも、普段話しているような、自然な言葉ではありませんでした(もちろん彼が教えてくれたやり方も彼のやり方でとても面白いものだと思っています)。
さて、大本の悩みは解決され、一部は残りました。ここからは、書かれた言葉を「どうすれば」まるで話しているかのように口に出すことができるのか、を考えていくことになります。
ぼくの演技のプロセス
さて、ここからは現在なので現在形で書きますね。悩みはいまだ完全な解決を見せてはいないとはいえ、以前と違うことがあります。それは一応、自分なりの演技の方法を身に付けたことです。
演技という異常な行為を異常な行為として行うために、もちろん次第に言語化されていったものですが、そのプロセスをぼくは以下の3つの段階に分けて考えるようになりました。
1. 存在
演技が可能な心と身体の状態を作る
2. 認識
1で作った状態にとって自然な形で世界を認識する(テキストを含む)
3. 行為
身体を使って演技をする(テキストを口に出すなど)
書かれた言葉を「まるで話しているかのように」口に出す方法がわからないとはいえ、プロセスは見つけ出したのだから、あとはこの中で具体的になにを行えば良いのかがわかれば、その方法は見つけ出せるだろう。
そう考えたぼくは取り急ぎ、まるで話している、かのように演技を行っている、ように見える周囲の俳優に、上記のプロセスを説明した上で、具体的にどのようにして演技をしているのかを聞きました。
しかし、ここで大問題が発生します。どうやら周囲の俳優は演技をこのように捉えていないようなのです。特に1の存在について「なんとなく」で解決しているようなのです。
確かに言われてみるとそうです。まるで話しているかのように演技を行うためには、演技をする自分を特別な存在にすることは余計な作業です。
なるほど、だから周囲の俳優は演技を異常なことだと捉えていなかったのか。もし例え本当に異常なことだったとしても、そこを考えたらそもそも演技ができなくなるから、深く考えないようにしているのか。その返答としての「なんとなく」だったのか。
そんなふうにこれまで周囲の俳優に感じていた謎が説明されました。
とはいえ、弱りました。やはりぼくはまるで話しているかのような演技ができないままなのでしょうか。
ぼくのメソッドを探して
しかし、どうしてもぼくは長年憧れていたまるで話しているかのような演技をしたい。
でも、どうやらぼくの演技のプロセスは一般的ではないようだし……じゃあ、自分で見つけ出すしかないのでは?
そんなわけで企画されたのが自主稽古『ぼくのメソッドを探して』です。ぼくの演技のプロセスをフレームとしながら、演技を異常な行為として行うだけでない方法を探します。
企画名は、どうやら特殊な演技の捉え方をしているぼくのために、ぼくなりの演技の方法が見つけ出せたらいいなということ、そしてより広い演劇に出られるような演技の方法を見つけ出せたらいいな、という理由からつけました。
一旦の目標はまるで話しているかのような演技を行うための方法を見つけ出すことですが、それ以外も含めた、より広い演技の形を包括できるような方法も見つけ出せたらいいなと思っています。
あとは憧れだけではなく「ぼくはこういう演技がしたいのだ!」とかも見つけ出せると良いですね。
自主稽古の様子は自分のため、そして誰かの役に立てば良いなということでアーカイブとして今後以下のマガジンにまとめていければと思っています。
そんなわけでやっていきます。では。
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