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見上げた春は、穏やかですか


いつも下書きばかり増えていく私だけど、言葉が溢れて仕方ない時期があった。一瞬だけどね。この言葉はいつか消えて、この気持ちもいつか忘れてしまうんだろうなぁと思うと、いても立ってもいられなかった。メモ帳に折り重なった、断片的な言葉を繋ぎ合わせると文章になった。noteに行き着いたのは、そんな成り行きで。祈るような気持ちで「公開する」を押した。本当の宛先は一人だけだった。でも、届かなくても、誰かの想いの輪郭をなぞることくらいは、もしかしたらできたのかもしれない。


ままならない想いを抱えるとき、なんとなく「世界の片隅にいる」という感覚になる。世界の隅っこでありつつも、誰かとは繋がっていたいような、でも時々断絶したいような気持ち。あのときもそんな気持ちだったな。



きっと届かない。
でも、届かないとも言い切れない。
それは十分に希望になり得た。


ふとあの頃のメモ帳を眺めていて、懐かしい気持ちになったのと同時に、言葉が溢れてくるあの感覚は薄れたなぁと、すこし寂しくなった。今は時々、ぽつりと言葉が浮かんでくるくらい。



でも、忘れたかというとそれもまた違う。今残っているのはあたたかさと、痛みと苦味と、胸が詰まる感じと、懐かしさと。もう何年も経っているのに、思い出すとしっかり苦しい気持ちになる。


どういう方向から眺めたって、もう「好き」ではない。だけど寸分の狂いもなく「好きだった」とは思う。


あのとき、言葉をきちんと溢れさせることができて本当によかった。落とした言葉を掬いあげて、形にすることができて本当によかった。私にとってはそれが一番のけじめになった。




きっと、傷跡に瘡蓋ができたんだと思う。言葉が溢れていたのは、傷口から膿を出すような作業だった。傷自体だって痛くて、膿を出し切る作業も痛かった。でも、今思えばきれいに洗い流せてよかった。瘡蓋になったことで、もう心がかき乱されるほど胸が痛むことはない。でも、表面のでこぼこは、確かにここに傷があったことの証。それは消えないみたい。


もっと傷をきれいに治す方法もあるかもしれない。でももう一緒に生きちゃえって感じ。
一人のひとの幸せを心の中で願いながら生きる、そういう生き方を選んだ私はさ、今日も生きてるよ。



ねぇ、人生の続きを歩んでいますか。
仕事は順調ですか。
目指していた資格は取れましたか。
よく眠れていますか。
ご飯は食べていますか。
見上げた春は穏やかですか。


寂しい色をしたあなたの目が
ぽっかり私の宇宙に浮かんでる。
ねぇ、あなたには幸せになる権利があるよ。



あなたが、あなただったから
こういう風に思うのだし
私は、今の私でいるんだよ。
もう人生は交わらないのに、それでも、
どうしようもなく交わっているんだね人は。



メモ帳に溜まったままの言葉。
きっとそこに本音が残っている。
ここにそっといくつか置かせてね。


𓍯 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 𓍯


出会いには理由があるっていうけどどう思う?
その答えを見つける頃には
瞼の裏からあなたは消えていてくれるだろうか



もう元に戻れないなら
あなたの見つめる景色になって
あなたの中に取り込まれたいよ



予測変換が私の頭の中みたいだ
いつになったら消えてくれるのかなぁ


あなたを見てると自分を見てるみたい
でもね、あなたも同じ事を思っていないと
それを運命とは言わないらしい 


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