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医を志したきっかけ

私が医療の道に進むきっかけになったのは難病を克服したことです。

病状に気がついたのは、中学2年生の夏からでした。当時私はバレーボール部に所属しており、いつも通りに部活にいくときに急に呼吸がしにくい感覚に教われました。まるで肺をガムテープでぐるぐる巻きにされているような、肺の中に乾燥した砂が詰まっているような感覚でした。部活は厳しかったため仮病と言われ、部活を続けなければなりませんでした。

それが数日して落ち着くと次に襲ってきたのが痛みでした。一ヶ所が痛いというのではなく、全身が酷い筋肉痛になっている状態でした。

ただ誰にも打ち明けることは出来ませんでした。多感な時期であり友人に言おうものなら、イジメに発展する可能性がありました。そこでヘルニアと部活動の仲間とコーチに伝えてマッサージ、整体、整骨、カイロとあらゆる治療院に通いました。ときには県立病院、専門病院に通い検査も行いました。

そしてようやく診断されたのが病名が膠原病でした。これで治る、薬を飲めば楽になると希望をもちました。しかし……医師から言われたのは、遠回しに治らないというものでした。

希望を持った瞬間に絶望に落とされました。ある先生は中には20代がどうなるか分からないという人もいました。それから私の世界は変わりました、将来どうなるか分からない、希望も砕かれた。周囲は友人と談笑し将来を語り合うクラスメイトを羨ましいと同時に嫉妬しました。

あるとき母が友人から『ここに行ってみたら?』と治療院の紹介されました。わずかな希望をもって治療にいくと身体の免疫力をあげるというものだった。

痛みで痛みをとる、痒いところを掻けば痒みが消える。痛いところに更に強い刺激を与えれば痛みが消える。

そういう方針だった

今まで受けた治療を遥かに越える激痛だったが、不思議なことに痛みは消えていた。ようやく痛みから解放されその晩は安眠できた。いつもなら良くても3時だったのが嘘のようだった。

それを3年続け私は膠原病を克服した。血液検査も異常なしと結果が出たときは奇跡だった。
高校3年生で健康のありがたみが分かった

私自身、治るとは思っていなかったため高校卒業後は就職する予定だった。就職先も決定していたが、悩みに悩んで医の道に進むことに決めた。担任には多大なご迷惑をおかけしましたが、医の道に進むことを快く承諾してくださりました。

そして東洋医学の専門校を見つけて受験前に助けて頂いた先生にTELをし『先生ように治療家の道に進むことにしました。』と報告しました。先生は、茨の道だが頑張れよと激励を頂きました。

これが私が医を目指したきっかけです。

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