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私って強い人じゃないのか

今年もまた、4月がやってきた。
子供の頃からの癖なんだけど、こうしてまた1年を共にした27歳との別れに、文章を残したくなっている。

どんな一年だった?

27歳は、乗り越えなければならないことが多い一年だった。
乗り越えられたこともあるけれど、諦めたことの方が多い気がする。

26歳の終盤。年明け、密かに準備していた大学院への進学のため、意気込んで勉強に時間と労力を注いでいたのに、とある事件が起きて2月には全てを止めざるを得なくなった。
3月の終わりに問題が終結し、さぁまた頑張ろうと思ったら、4月になってすぐ実家の愛犬が病気で急逝した。
26歳の終盤、めちゃくちゃハードだった。

それでも、どうしても頑張りたくて、27歳の今年こそ本腰を入れるぞ!と、やるべきことを整理して歩みを続けた。
奨学金の資料を作りながら、色んな人に声をかけて話を聞かせてもらいながら、英語の勉強も並行して進めた。TOEFLって日本語で聞いてもわけがわからん。
来たる7月、海外大学院を受けるには英語の勉強がどうにもこうにも追いついて来ず、学生時代の教授に相談した。信頼できる彼のアドバイスにより、少し方針を変更する事にした。
寝る間も惜しんで粘った8月、全ての条件がことごとく今の私には向いていないことを認め、大学院進学を一旦中止することにした。

人生で初めて、「挑戦する前に諦める」という決断に至った。

正直、なんでこんなに頑張れないのか、わからなかった。
でも確実に、頑張れなくなるような外的要因に影響を受け続け、誰かに止められてる?とさえ思った。

同時に、今の私には、大切な人がたくさんいて、人生が楽しいのに、なんでこんなに辛い思いをしてまで、友達の誘いを断ってまで勉強するのか、その問いに自分で自分を説得できなくなった。
あんなに意気込んでいたのに、自分は頑張れると思っていたのに、頑張るエネルギーが全然なかった。

でも、27年間生きてきて、なんやかんやで直感は当たることをよく知っているのも思い出した。なんか違和感を感じるなら、立ち止まるほうがいいことがあるから。
幸いなことに、この時期に出会い相談に乗ってもらっていた方に、「急ぐ必要はないよ。自分もたどり着くまで10年かかったけど、その時間は無駄じゃなかったから。」と言ってもらえた。背伸びしようとしてジャンプをし続け、地に足がついていない未熟な自分を受け入れられた。
もどかしさはあったけれど、きっとまた頑張れるだろうし、そうなる時は自然にことが進むことも、自分が1番よく知っているんだよね。

守りたい人が増えた一年

それからの目標は、今目の前にいる人たちを抱きしめることだった。
幸いなことに、私には大切な友人や上司がいるので、今はその人たちとの関わりを楽しんで、大切にしたくなった。

幼少期は引っ越しが多く、慣れたと思ったら別れが来て、新しい環境での人間関係をまた1から作り直す、を繰り返していたせいか、常に人を見極めていたし、顔色を伺っていた。
その分、人見知りしないで誰とでもある程度仲良くできるようになったのは私の長所ではあるけど、ずっとずっと誰かを信じることが簡単ではなかった気がする。

けれど、ここ数年で出会った友人たちのおかげで、自分が大切になったし、その分大切にすべき人が見えるようになってきた。
すると、そんな友人の紹介で出会う人も大抵愛おしくて大切に大切にしたくなる人ばかりだった。

私の大切なみんなに対して、「彼ら彼女らに嫌なことが降りかかりませんように」「なんかあったら絶対に守るし、こいつらを傷つける奴は断固として、何人たりとも許さねぇ」という気合いも持ち合わせるようになった。

守りたいと強く思うようになったのは、きっと少しずつ勉強して知識がついてきたからだとも思う。知識が身につくことで、少しずつだけれど、人の痛みが見えるようになってきた。
これは、25歳が終わる時の自分に対して、ああ、私には知識が足りていないんだな、と絶望してから、2年間必死になって勉強したことで世界の見え方が変わったんだと思う。
まだまだまだまだ足りてないけど、変われた自分を少しだけ褒めてあげたい。
これからも不意に誰かを傷つけることがないように細心の注意を払いたいし、今度は、無意識に傷つける人に対して、言葉が持つ鋭利さをちゃんと伝えて行くことが私たち大人としての責任だとも思うようになった。
これは28歳からの目標にしていこう。

自分が弱いことを認められた

ここまでつらつらと書いてきたけれど、自分がどんな人か?と聞かれたら迷わず、「明るく元気でよく喋る!」と答えるし、周りの人が見てもそういう印象をもつと思う。
明るい性格なのは、ただ自分がそうだから無理してるわけでもなんでもないけれど、時たまそれが重たくのしかかる時がある。
常に明るくいなきゃいけないような、そんな気がしてしまう。

でも、全然元気がない時も落ち込む時もたくさんある。
パワハラ上司に耐えられなくなり、休職した事だってある。
他人の言葉にとても敏感な自覚は子供の頃からあり、誰かの言葉がずしんと胸に刺さって抜けなくなることは、めちゃくちゃ多い。本当に多い。
その度に考え込み、悩み、気が沈む。
ちょっと仕事が忙しくなっただけで、普段ならなんとも思わない誰かの言動に過敏になったりもする。

今年の冬は特にそれが多くて、別に嫌がらせされたわけでも誰かに酷いことを言われたわけでもないのに、仕事がしんどくてしんどくてめちゃくちゃに逃げたくなったことがあった。

その時ふと、「あれ、私ってもしかして、弱いのかも…?」と、思った。
こんな大切なことを、27歳にしてようやく認められた。

それと同時に、明るい人って傷つくことを許されていないのかもしれない、とも思うようになった。正確には、「傷ついた」と伝えることを、許されていないのかもしれない。

元気で明るくて、ふざけたり、人を笑わせたりするのが好きだと、どうしてもその人の弱い部分が見えなくなってしまう。
明るい人だから、ふざけることが好きな人だから。そんな理由で、落ち込んだり笑えずにいる姿が想像できなくなる現象が、確実にある。
というか、自分がそう言われてきた。
「悩みがない人はいいよね〜」とか、「強いよね」とか、そんなふうに投げかけられた言葉を今でも鮮明に覚えている。

そんな言葉に、自分自身が囚われていた。
弱いことや、弱っていること、しんどいと助けを求めることを、自分自身に許してあげられなかった。
自分に許せないことって、他人にも潜在的に許せない気がした。
そして、社会もそんな風潮がほんのりあるよな、と。

私のことをよく知る人は、私を繊細な人だと言うし、私もそう思っていたにも関わらず、弱って自分らしくないような自分を責めてしまっていた。これも自分なのに。

27歳の一番の収穫は、元気で明るくてふざけてたって、弱くて繊細ですぐへこたれていいじゃん、と思えたことだった。
自分、全然弱いんだな、を初めて自分に認められたのは、大きな一歩じゃない?

文章を書くのがやっぱり好き

数年前から、誕生日前日にnoteを書いてきているけど、今年はものすごく、抱きしめたい一年だったと思う。 

27歳の自分、よく頑張った。
うまくいかなかったことも多かったけど、頑張ったと思う。

あと、27歳って響き、実はすごくお気に入りだった。
大切で忘れたくない一年を、抱きしめたい。

28歳は、誰かに背中を押されるように、導かれるように、新たな道を切り開いていくんだと思う。
たくさんの別れと出会いと挑戦が待っているだろうけど、自分に正直に、素直でいられたらいいなと思う。

そして、やっぱり私は文章を書くのが好き。喋るのも好きだし、本当に永遠に喋ってられるくらいお喋りさんだけど、同じくらいに文章を書くのが好き。自分の中の繊細な部分を、見て見ぬ振りせず丁寧に愛せる気がするから。

さて、また一年経ったときに、28歳の自分を抱きしめたいと思えるように、頑張らせていただくの。

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