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恋をするということ

テレビを見ている時、友人を見ている時。
不意に、

「あれ?なんか綺麗になった?」

と思う時がある。
言い方を変えると、

「垢抜けた」とか「かっこよくなった」

とも言える。

何が変わって、そう思うのだろうか。
簡単に分析するならば、化粧を変えたり、痩せたり、服装や髪型などが変わったのだろう。

しかし、気になるのは、なぜその具体的な変化を起こすに至ったかではないだろうか。
行動の変化には必ず、心境の変化が伴うはずだ。

ここで、一つの定説が頭に浮かぶ。

それは、恋をすると綺麗になるだ。

誰が言い出したのかわからないくらい、よく聞く言葉。
きっと、誰とは特定できないくらい多くの人が思うことなのだろう。
では、果たして本当だろうか。

私の場合、これは確実にそうだと思っている。

ただ一つ注意が必要なのは、というものの捉え方は一つではないということ。
私なりの見解を、実体験を含め聞いて欲しい。

恋をしたのは

私がこれまでの人生で、「綺麗になったね」と言われた時期があったのは、2回。

1回目は大学2年生の時。
この時、好きな人がいた。
好きで好きで仕方なくて、会いたくて仕方がなかった。
友人でいる以上、会うためには理由が必要で、理由なく会うためには、付き合うしかないと、本気でそう思った。
人生で初めて、付き合いたいと思った人だった。
思い返しても、あんな恋は2度とない気がするほど、好きだった。

この時、彼に振り向いて欲しくて、自然と身の回りの物事に変化が生まれた。
人生で初めて髪にパーマをかけ、洋服に気を使い、化粧もするようになった。
今、当時の写真を見返しても、なんだか輝いて見えるくらいだ。
「なんかこの時の自分可愛いな」と思うのだ。

この時は、「恋をして綺麗になった」のお手本とも言えるパターンだろう。
この定説、本当なんだな、と肌で感じた。

2回目は、社会人1年目の時。

これには、前段階がある。
最初の転機となったのは、大学4年生の就職活動の時だった。
田舎の大学に通い、部活に明け暮れていた私は、オシャレや化粧に無頓着だった。
化粧といえば、下地を塗り眉毛を描く。
気が向いた日はチークを塗る。以上。
今思い返しても、化粧とはいえないものだった。
そんな私だが、就活では、俗にいう華やかな業界を目指していた。
化粧は必須であり、むしろしっかり濃いめに化粧している方が、身だしなみに気を遣っている感が出て好感が高かった。
知識も経験もない私は、必死に美容系のYouTubeを見漁った。
リサーチをし、ここで私は初めて、ファンデーションとマスカラ、ハイライトにアイライナーを購入したのだった。

就活では、希望していた華やかな業界に内定し、就職を果たした。
入社してみると、同期をはじめ先輩は美人だらけ。
全国各地から集まった美人に囲まれ、人から見られる仕事をしていれば、身なりや見え方を気にするのは当たり前だ。
自然と美容に興味を持つようになり、姿勢を正して歩くようになった。
化粧も、日常的にしっかりとするようになった。

この頃、久しぶりに会う友人から高確率で「綺麗になってる!」や、「なんか色っぽくなったね」と言われていた。

ここで、聞きたいことがあるだろう。

「で、当時どんな人と付き合ってたの?」

残念ながら、この社会人1年目の時に、お付き合いしていた人はいなかった。
とても残念だ。私自身、心底残念だったと思っている。

それはさておき、「じゃあ、“恋すると綺麗になる“の法則はなんだったんだ?」という疑問が芽生える。

ではここで、前置きにあった、というものの捉え方について説明したい。

私にとっての恋とは、
「何かに激しく感情を揺さぶられ、思い焦がれ、努力すること」だ。

私の1回目の綺麗になったターンは、皆さんが考えるようなだろう。
当時好きだった彼の特別になりたいと恋焦がれていた。
彼のことを考えるだけで力が湧き、日常が華やかになり、毎日を頑張る原動力だった。

では、2回目の綺麗になったターン。
これは、まず入りたい会社に内定することに思い焦がれた。
そして、入社後には、その仕事に就く人への世間のイメージに叶うこと、そして同僚と一緒にいても浮かないよう、自分の価値を上げたいという憧れに焦がれたのだった。

なにやらつらつらと恋について語っているが、
なぜ、こんなことを急に語り始めたのか。
それは、私が高校生ぶりに、ある種の恋をしているからだ。

推しができました

何を隠そう、推しができたのだ。

毎日取り憑かれたように、動画を見漁り曲を聴くため、YouTubeとsportifyが入っているスマホが手放せない。
好きが溢れ、なんだか考えるだけで胸が苦しくなる。

完全に、思い焦がれている。

誰かを推すのは、かなり久しぶりだ。
高校3年生の受験期、ゴスペラーズの北山陽一さんに狂ったようにハマって以来。
それまで、AKB48をはじめとする女性アイドルにジャニーズなど、一通りは通ってきた。何事ものめり込みやすく、オタク体質であることも自覚している。
大学に入学とともに、周りの友人にオタクがいなかったことも影響して、俗にいうアイドルにはまらなかった。
その代わり、邦ロックにハマり、ライブやフェスに足を運んでいた。
この時は、ただ音楽を聴き騒ぐことが楽しかった、という感じでのめり込むと言えるほどのエネルギーは使えていなかった。

推しができたと認識してからというものの、見える世界が全く変わってしまった。
彼らの頑張る姿に一喜一憂し、笑顔やパフォーマンスを見ると力が湧いてくる。

色々あって休職し、このまま復職できるのかと弱りきってしまって不安で仕方なかった私が、なんと復職の意思を固められたのだ。
頑張ってる彼らがいるならば、仕事も頑張れる気がする、なんて思っている。
推し、すごすぎる。

推しができてから、不意に思ったことがある。
それこそが、今回noteを描いた本当の理由だ。

それは、

「推しって、なんでこんなにも輝いているのだろうか」

だった。
ステージに立つ姿は、それはそれは眩しい。
見ているだけで、笑顔になれる。
バラエティで、メンバー同士でふざけて笑っている姿もまた眩しい。
画面越しに、そこに混ぜて欲しいと思ってしまうくらいだ。
ご飯を食べている姿なんかを見た日には、私たちと同じ人間として、食事をすることが新鮮に感じられる。

推しの輝きを前にして、どうしても考えずにはいられない。
なぜ彼らは、常人にはない輝きを放つのか。

考えられるのは、やはりなのだ。

彼らは、目に見えないものに思い焦がれているのではないだろうか。
土台となる理由やきっかけは各々違えど、やるからには目指すことは一つだ。

有名になりたい。

これ一択ではないだろうか。
もちろん、それぞれ続けている理由はあるだろう。
ダンスが好きだったり、歌を歌いたかったり、ステージに立ちたかったり。
グループのメンバーが好きで一緒にいたい、とかもわかる。
しかし、人気が出ず、有名になれない状態でも続けていける仕事ではないはずだ。

そんな彼らに必要なものも、ただ一つ。

自分達を応援してくれる、ファンの存在。
自分たちのことを知ってくれている人を増やし、ファンが増えてくれることで有名になれるのだから。
ファンがいるからこそ、購買意欲が高まり経済も回る。

そんな彼らの使命は、ファンに最高の姿を見せて、喜んでもらうこと。

至ってシンプルな仕組みである。

ファンに喜んでもらうためには、スタイルをキープし、ダンスや歌の練習に寝る間も惜しんで励む。
睡眠が足りていなくとも、どんなに忙しくても、肌荒れは許されない。

ビジュアルはもちろんのこと、メンバーの仲の良さも重要だ。
嵐を筆頭に、仲がいいグループこそ、推し甲斐があるものだと個人的に思っている。
そのため、パフォーマンスはもちろんのこと、舞台裏も気は抜けない。

全ては、既存のファンの心を鷲掴みにして離さないだけでなく、新規のファンの獲得にも努めるために。

ここまで分析しても、やはりアイドルって本当にすごいと思う。
なぜならば、彼らは、自分のファンということ以外、それがどこの誰なのかわからない存在を増やすことだけを必死に目指している。

何人いるのかも、人数の増減もわからない。
年代も、国籍も、職業も、何もかもわからない。
その存在が目に見えるのは、コンサートやライブ、イベントの時だけ。

冷静になって考えると、めちゃくちゃ怖い。
きっと、満足できる日も、安心できる日も来ないに等しいだろう。
どんどん新しいグループが出てきて、話題はうごめくのだから。

それでも、やはり自分たちのファンがいてこそ、待ってくれている人がいるからこそ、彼らも何かを信じて努力ができる。

ここまで、ファンを掴むためのことにばかり焦点を当ててきたが、ファンを手放さないための努力も重要だ。
彼らにとって、ひいてはファンにとっても、怖いこと。

それは、スキャンダルだ。

正直、私の推しに関して、不祥事はあまり心配していない。
ただ一つ、誰にでもあり得ること。

「推しに…熱愛報道が出たらどうしよう…。」

大前提として、私ももう大人だ。
推しは推しであり、恋愛対象ではない。
それでも、アイドル特有の「誰かのものにならないで欲しい」という、ひどく自分勝手な気持ちはやはりある。
何も考えず、ただ純粋に応援させてくれ、と。

しかし、推しも人間である。
私と同じように息をし、ご飯を食べ、地球で生きている。
恋ぐらいするだろう。
というより、恋をしてくれる方が健全だということも、この歳になると頭ではわかる。

誰しもが感じる葛藤ではないだろうか。

そこで、推しに熱愛報道が出たとしても動揺しないための落とし所が欲しい。

考えに考えを巡らせた末、一つの結論に至った。

推しが誰かと恋愛するということは、努力したいと思う対象が目に見えるようになったというだけのことなのではないだろうか。

大前提として、彼らは、私たちファンのために毎日努力している。
しかし、先ほどから述べているように、ファンは得体が知れない。
彼らは、ファンを始めとする世間の自分のイメージに合わせて努力している。

恋人とファンでは、努力の方向や、伴う感情は異なる。
それでも、出会うべくして出会った誰かに思い焦がれ、その人のために努力する推しも絶対に輝いていると思うのだ。

むしろ、それまでとは違った輝きを放つ可能性すら秘めている。

そう思うことで、ひと段落した。

最後に

ここまで読んだ方はお気付きでしょう。
かなり気持ち悪い文章になりましたね。
大丈夫です。書いている私が1番そう感じています。
でも、久しぶりにどうしても頭の中で言葉が広がり、書かずにいられませんでした。

このnoteを簡潔にまとめると
25歳にして急にSEVENTEENにハマった人が、最悪の事態を考えて予防線を貼る方法を書き殴った、でした。
セブチ、最高ですよー。はぁい。
彼らを傷つける人がいたらぶっ飛ばす!くらいの意気込みでやらせてもらってます。(何を)

推す前って何が楽しかったんだっけ?って思うくらい、推しがいる日々に感謝しているこの頃です。

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