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クラスメイトがアイドルになると陰キャオタクは狂う。


 高校2年生の夏、隣の席の女の子が突然アイドルになった。

 初めてライブを観に行った時の彼女の姿が脳裏に刻まれたようにどうしても忘れられない。それまで私は女性アイドルに興味がなくて、せいぜいミュージックステーションとかで見て可愛いな〜と思うくらいだった。田舎だからアーティストのコンサートに行ったこともなくて、それが初めて見た生のライブだったのに。

彼女とそんなに仲の良くなかった私は髪型を変えてマスクを付けた不自然な変装なんかして、現場の一番後ろの隅っこで、あまりにも大きな感情をどうしていいかわからなくて、最後には泣いていた。それほどまでに、魂みたいなものを揺さぶられるパフォーマンスだった。

 まず、ステージに登場したクラスメイトは、真っ白な衣装をまとってきれいに笑っていた。可愛い! と思っているあいだに曲が始まって、ダンスの振りですらっと伸ばされる腕や脚が信じられないほど細いことに衝撃を受けた。しかもそれは彼女だけじゃなくてほかのメンバーもみんな、私の半分くらいの細さしかなかった。可愛いメイク。アレンジされた髪型。マイクを握る腕の細さ。翻るスカート。何曲も踊っても崩れない歌声。

あれになりたい。絶対になれない。

湧き起こってくるのは強烈なまでの嫉妬と羨望だった。激情といってもいいほどのそれはまるで憎しみにすら似ていた。気づくと胸が熱くて、喉になにか支えたような感覚がして、ああこれは泣きたいんだと思ったときには視界が潤んでいた。

 ライブが終わってから放心状態みたいになって、どうしてこんなことを思うのか訳がわからなくて動揺した。それで、私は希望を見たんだ、と思った。
 高校時代、私は友達が少なかった。学校に行くのが嫌で、勉強も嫌で、けれどだからって何もかもに反発するほどの気力もなくて、無気力状態でぼんやり毎日を過ごしていた。なんにもないけど、だからって特別不幸なわけでもない、多分人はこんな感じで卒業して大学に行って就職するんだ。そういうことに気付いて青臭い絶望を覚え始めた頃だった。

 そんなときに、きっと私と同じように何となく大人になるんだと思い込んでいたクラスメイトがアイドルになったことは、とてつもない衝撃であり、希望だった。私の薄暗い考えを閃光のようにつらぬいて、手の届かない場所できらきらと輝いている。

 彼女は自分の力で、自分の人生を輝かせることを選んだんだ。「アイドル」という何者かになることを選び取ったんだ。

 そして同時に憎く思う。私がようやく自分の人生はこの程度のものなんだって納得できるようになってきたっていうのに、どうしてそんなときに、「何者かになれるかもしれない」なんていう希望を、こんなにもまばゆい光を以って見せつけるんだ。ステージに立つ彼女を見るたびに思う。あなたのようになりたい。私には絶対になれない。叫びたいような希望と、死にたいような絶望の繰り返しだった。あれから何度もライブには通ったけれど、楽しい気持ちだけでいられた帰り道なんて一度も無かった。あれは一種の自傷行為だったのかな、と今になって少し思ったりもする。

 あの子が隣の席にいた夏から、もう3年が過ぎた。私はなにもない田舎で大学生になって、彼女は進学せずにアイドルとして生きることを決めた。サークルやアルバイトで忙しくなってライブに顔を出す頻度も減ってしまったけれど、たまには、日に日に美しくなっていく彼女の姿を見に行く。一番後ろの隅っこの席。彼女はさして親しくもなかったかつての級友に気づいているのかもしれないし、そんなこと気に留めてはいないのかもしれない。どちらでもいい、と思う。

 私はアイドルとしてのあの子のファンになりたかったけれど、同級生として認知されているかぎりただの純粋なファンにはなれない。そのことがものすごく悲しくてチェキを撮ることすらできない。本当はお金が入るから撮ったほうが喜ぶのかな。でも私は陰キャだったから、仕事で優しくしてもらうなんてあの子に申し訳なくてできない。あぁでもこれも彼女に近づきたくないがための言い訳なのかもなあと、今でもぐちゃぐちゃの感情を持て余している。

 このあいだ、彼女のSNSに友だちと制服ディズニーをしたという投稿がされていた。その写真を見た瞬間に、心がばらばらに崩れてしまった。
 その制服は、安物のセーラー服とかじゃなく、私が通っていた同じ高校のものだった。髪型は、彼女が高校時代にいつもしていたのと同じポニーテールだった。
 私は電車の中でそれを見ていて、一気にとてつもない空洞が心に空いてしまったような、もう二度と取り戻せないものの影を見たような、とにかくどうにもならない感情に襲われてまた泣きそうになった。

 この気持ちをどう言えばいいのかまだ分からない。どうしてこんな滅茶苦茶な気持ちになるのか訳も分からない。
 ただ私は、貧乏だから親に制服は売られてしまって、卒業アルバムも買えなかった。あの夏、隣の席にクラスメイトたちが集まってアイドルグループの話をしていたこと。わたしはそれを聞きながら一人でお弁当を食べていたこと。すべて覚えているのだ。私にはなんにも残らなかったけれど、彼女がいた教室のことを、こんなにも覚えている。まるで郷愁のようだ、と思う。
たったひとりの普通の女の子に夢を見過ぎている自覚はある。希望だなんてものを背負わせて、勝手に救われて、勝手に苦しんでいるだけだ、私は。滑稽で泣きたくなる。

 でも、彼女のステージを見ると、そういう一切の気持ちが晴れていくのだ。私はあの瞬間だけを信じている。「あの子に救われた」って、「あの子こそが希望だ」って感じることを、誰にも否定させるものか。
 気持ち悪いって言われそうで、ずっと誰にも話せなかった。間違ってるのかな。アイドルをこういう気持ちで応援することは。あぁでも多分、たとえ間違っていたとしても、応援を辞めるなんてできないんだけど。

 アイドルは人の理想を背負って、夢のためにあらゆるものを犠牲にする。高校時代の彼女が学校を休みがちになったとき、大勢から嫌味を言われていたのを知っている。だからこそ彼女の努力する姿を美しいと思った自分のエゴを知っている。

 最初のあの頃から、彼女は歌もダンスもパフォーマンスも、何もかも驚くほど上達した。人気も出てきて、容姿だってずいぶん可愛くなった。たくさん努力したんだろうな、と思う。
 けれど、私が何よりも一番感動に打ち震えたのは、デビューのライブだけだった。今でもあの動画を何度も見返す。ソロパートで観客席にすっと手を伸ばす仕草。私はあのとき、紛れもなく、希望そのものを目にしたんだ。

 こんなことをつらつら考えていて、ふとカレンダーを見たら8月31日だった。大学生はなぜかめちゃくちゃ暇だから、まだ夏休みは終わらない。もう平成最後の夏って騒ぐインターネットを見ることもなくなるのか。いつまでも青春を引きずっている場合じゃないんだし、本当に平成が終わるころには、こんなどうしようもない感情に折り合いをつけられていたらいいなあ。無理かなあ。

とても頑張って生きているので、誰か愛してくれませんか?