アイドルはどうして私たちを救ってくれるのか。「愛しているよ」の魔法
とても久しぶりにローカルアイドルのライブを見に行った。もう現場はずっと行ってなかったけど、やっぱりどうしてか彼女たちを見るたびに本当に涙が出そうになる。綺麗で、希望みたいに輝いていて、けれどあんな風に踊って笑えるようになるにはどれだけの努力が必要かを私は知っている。
同級生がアイドルになった日のことをずっと覚えている。隣の席で「消しゴム落としたよ」と笑って拾い上げてくれた女の子が、舞台上で歓声を浴びるのを見た。
ライブを見るたびに心をぐちゃぐちゃに掻き乱されるようでたまらなかったっけ。私はあの頃生きることが辛くて、精神病だから学校にもあんまり行けてなくて、将来も何にもなれないし楽しいことは何も無いんだと思っていた。教室のみんなは楽しそうにしているけど、誰の未来だって私と同じで真っ暗なんだと信じ込んでいた。
今はもうすべてを懐かしく思う。同じ教室に居た女の子がスポットライトを受けて宝石のように輝くアイドルになったこと。たくさんの人から愛されて、望まれて、叫ばれる存在になったこと。今になってようやく思うけど、私はあのステージを見たときからあれになりたくて仕方なかったんだと思う。アイドルじゃなくて、「舞台上の人」になりたかった。
どんな手を使ってでもそちら側へ行きたかった。あの時の私はこの世の何も信じていなかったけど、ライブを見ている時だけは「ああこの世界には本当に美しくて綺麗なものがあって、みんなそれを頼りにして生きているんだ」と胸に清水が流れ込んでくるように信じられた。私はばかだからその感動もすぐに忘れてしまうけど、もし自分があれになれたら、その感動をいつまでも忘れないで覚え続けていられるような気がしていたのだ。
女性ローカルアイドルの現場にいる人はオタクとかおじさんが多くて、だいたいはいわゆる陰キャと呼ばれる人生を送ってきた人たちだ。最初の頃にファンたちのTwitterを見ていて分かった。生活のうちで重要なことが仕事しかない人。働いて働いて一人の家に帰る。所得も少なくてたまの休みにもそう大した贅沢はできないしそれをする気力もない。結婚もしないまま大人になっておじさんになって、あるいは家庭で迫害されていて居場所がなくて。
もちろん全員じゃないけど、決して少なくない数のそういう人々にとってはアイドルだけが希望なのだった。
ステージで輝くアイドルの女の子たちは綺麗で美しい。でもその彼女たちを取り囲む人々の顔を、本当に幸せそうにコールを送る仕事帰りのおじさんたちの顔を見ていたらもっと泣きたくなる。私だって職場と家の往復で心を擦り減らすだけの毎日だ。
生きることは本当に辛くて。辛くて、耐えて耐えて走っても報酬なんてなくて、虐げられるばかりの人生だ。私たちは何者にもなれなかった。なれなかったから観客席にいる。決してステージに登れないからこそ、そういう私たちにだからこそあの光が希望に見えている。
失敗したんだなと思う。舞台に立てなかった自分の人生のことを。できるのならばあれになりたかった。でも仕方ないとも思うんだよ。彼女たちの手脚のくっきりとしたシルエット、歌声の強さを感じるとき、努力が足りなかったのではなくて私にははじめからあれになれる素質はなかったと納得できる。
まったく別の生き物だったと思う。それでもこうして間近で目にできるだけで幸せだと。
若くて才能と美貌に恵まれた女の子たちが歳の離れたおじさんの群れを本当に愛してるなんてことないと思うけど、「ありがとう」と美しい笑顔で手を伸ばすのを見ていたら「許されている」と感じる。それで、あのおじさんたちでも許されるなら私だって許してもらえるかもしれないと思う。
自分で自分の存在価値を作れない人は、誰かのファンであることで「ここに居てもいいよ」と初めて他人に言ってもらえたような気持ちになるのだろう。ファンはいくら居てもいいし、居るだけでアイドルの支えになる。観客席にいるだけで価値のある何者かになれるなんて革命なんじゃないか?
承認欲求の時代の終わりに推し活ブームが来たのは決して別の話じゃないと私は思う。人々はもう自身が何者かになることを諦めて、私は「価値ある美しい人を支えるファン」である、という価値によって生きようとするようになった。どれだけそれに尽くしているか、それの役に立っているかが自己自身の存在価値を証明するための唯一の方法になった。私たちは、いつまでも「何か意味のあるものを残したい」「役立たずになりたくない」という思いからは逃れられない。
単純にパフォーマンスや容姿だけで言ったらローカルアイドルよりもたいていは大手ユニットの方が優れているだろう。活動の安定性も場所も段違いだ。それでも小さなグループだけをあえて追い続ける人がいるのは、そんな技量よりもすぐ近くで見られて、本当なら触れるはずもない星に名前を覚えてもらえて、自分が支えてあげているという自覚が持てることの方が何倍も嬉しいからで。その喜びの前には大手ユニットの総合力なんてどうだってよくて。
それはアイドルだけじゃなくて、ホストでも芸人でもバントでもVtuberでも、クオリティの観点から言ったらもっと優れた人がいる中でそれでも下の方の人にファンがつき続けるのは、「身近にいてくれる」ということがその他の全てを凌駕するくらい私たちにとって大事なことだからなんだと思う。
私たちはいつも寂しいから。どれだけ綺麗でもそばにいて触らせてくれないものには時々興味を持てなくなる。そういう理由で誰かを「推す」ことは卑怯なんじゃないかと、たまに思うけど、でもその性質だって希望に飢えた私たちのすることなんだから仕方がない。
生きることの苦しさも、感情の煩わしさに抗う手立てがないことも、何もかもどうしようもない。私たちはこれらすべての人間らしさから逃げられない。雨に打たれるように人間の醜悪さを身に纏いながら、晴れ間を探すように茫然と遠くを見上げる。
舞台上の人は、その目線の先でいつもスポットライトに照らされて輝いている。彼女は私たちに白く細い手を伸ばす。ここに来てくれてありがとう。世界は明るく美しいよ。私たちはあなたを救うためにアイドルになったんだ。
あなたを愛しているよ。
とても頑張って生きているので、誰か愛してくれませんか?