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溶ける 再び

自分にとって勉強になった一文のメモです。

今私が読んでいる本の一節を紹介します。

「現代哲学者の中ではフーコー(1926~1984年)にも共感した。フーコーは「ほとんどの人間は他人の人生を生きている」と言った。その言葉にはすごく惹かれた。つまり、他人の目にどう映るかばかりを気にして、本当の自分の人生を生きることができていないということだ。  当時、巷ではアドラー(1870~1937年)の心理学も流行していた。  ニーチェ、フーコー、アドラーの3人が、刑務所の私の頭の中で全部一直線につながった。今まで感覚的に「正しい」と思ってきた考え方と生き方が哲学者から肯定され、自分の信念が裏打ちされたのだ。  個がしっかりしていなければ、人の目ばかり気になってしまう。同調圧力、社会的圧力が強く「個」が確立されていない日本では、特にそうだ。多勢と同じ行動を取らないと、犯罪者であるかのように指弾される。そんな息苦しい世相のなか、強固な自我を揺るぎなく保つためには、思想と哲学が必要だ。  私にもかつて、他人の目をやたらと気にしてしまっていた時期はある。40歳を過ぎたころから、他人などどうでもよいと考えるようになったが、獄中で学び直しをしたおかげで「ニーチェやフーコー、アドラーもこう言っているのだから、これでいいじゃないか」と素直に思えるようになった。  ときどき女性に「エルメスのバッグがほしいと言うけど、本当にエルメスのデザインが好きなの?」と吹っかけてしまう。 「エルメスを持っていると、みんながすごいと言ってくれるからほしいだけじゃないの? 他人は他人、自分は自分だぜ」」
(『熔ける 再び そして会社も失った (幻冬舎単行本)』(井川意高 著)より)

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