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SEVENTEENから離れられない

中学2年生の春、初めてアイドルにハマった。

2015年5月にデビューしたSEVENTEEN。作詞、作曲、振り付けの全てをメンバーが行う自己プロデュースアイドルだ。13人という大所帯ながら、誰一人として個性が埋没しておらず、一人一人のキャラがよく立っている。人数の多さを生かしたダンスとメンバー同士の仲の良さが魅力だ。
幸先の良いスタートとは言えなかったが、それでも少しずつ着実に、国内外からの注目を集め始めていた。そんな中、「예쁘다」をリリース。ある時テレビで新曲として取り上げられていたこの曲のMVを見て、ジョシュアの笑顔に一目惚れした。

キャプチャ

「え?かわいい」
一度そう思ってしまってからは早いものだった。

友達とごはんの写真くらいしかない味気ないカメラロールに、突然K-POPアイドルが現れる。過去のステージ映像はすべて見て、「SEVENTEENプロジェクト」「13少年漂流記」も全話見て、公式のコンテンツを網羅した後は海外のファンメイドの動画を見て、それ以外の時間は掛け声を覚えるのと、芸名と本名を一致させるのに費やした。
そうして期待値を最大限に高めて迎えた2016年8月5日。「Shining Diamond」をバックに、真っ暗なステージに13人が迫り上がってきた瞬間のことは鮮明に覚えている。セブチってほんとにいたんだ。初めて感じる感情だった。(そのすぐ後に舞台装置の不具合かなんかでまた下がっていって会場え?wwてなってた。スングァンか誰かめっちゃ笑ってた)
韓国アイドル特有の掛け声文化も何もかも、K-POPはおろか、アイドルのファンになるのが初めての私には未知の世界だったが、その楽しさと、SEVENTEENの尽きることない魅力にすぐに夢中になった。Twitterアカウントも開設して、日本中のCARATと繋がった。

니 몸 안에 감춘 걸 토해내 쏟아내 yeah
君の体の中に隠したものを吐き出せ ぶちまけろ Yeah

모두가 이 몸을 탐 내게 해
誰もがこの体を欲しがる

「Shining Diamond」のこの歌詞が大好きだ。
エスクプスのラップパートだが、彼ひとりの表情に、13人全員の決意と希望が見える。リーダーって、こういうことか。2016年末のフィルムコンサートで、それに気付いて涙が溢れた。この人が率いるSEVENTEENのこれからが輝かしいものであってほしいな、そしてそれを私もすぐ近くで見守っていけたらいいな。その日の日記にそう書いた。

しかしその後ほどなくして、ホシが大ファンとして有名な、デビュー9年目の別のK-POPアイドルを好きになった。音楽性、雰囲気、ビジュアルの全てが、私の好みに寸分たがわず合致した。優劣をつけるのではなく、単純に個人的な嗜好の問題で、私はそちらの方により惹かれていった。

そしてタイミング悪く、SEVENTEENが嫌になるような出来事が立て続けに起こる。同じくSEVENTEENを好きな母が彼らをきっかけに暴走して家庭崩壊しかけたといったような具合で、正直彼らに全く非はない。しかし、私がこれ以上SEVENTEENを見たくなくなるには十分だった。SEVENTEENには必ず母のイメージが付きまとうようになり、ライブも動画もDVDも心から楽しめなくなった。

SEVENTEEN離れは日に日に加速した。SEVENTEENと母は何の関係もないと頭では分かっていたが、どうしても切り離して考えられなかった。学校で楽しそうにセブチを語る友達が羨ましかった。あの子みたいに純粋にセブチを好きでいられなくなったのはいつからだろう。

そうはいっても遠方に住むCARATの友達に会う目的や、いわば情のようなものに押されて、今までのライブにはすべて参加したし、エクスカリバーとソウルコンのために渡韓もした。
見ている時はそれでも、「楽しいな」「セブチっていいな」と思える。しかしそこで終わってしまう。その時感じた楽しさの余韻は長くは続かない。そんなことが続いて、ずっと見て見ぬふりをしていた、SEVENTEENともう一つのグループとにかける熱量の差を、嫌でも直視しなければいけなくなった。こんなふうに生半可な気持ちで応援しているのがなんだか申し訳なくて、CARATを名乗るのもやめてしまった。

しかし今でも、テレビで流れているライブ映像をなんとなく眺めている時、「あ、やっぱり好きだな」「やっぱり私にはセブチだな」と漠然と思う私が確かにいる。

中途半端な状態でいるのが嫌で、いっそのこと嫌いになってしまおうとしたこともあった。でもどれだけ頑張っても、全速力で今を駆け抜ける13人の清々しい輝きをそのまま歌にしたような「HIT」のMVを見てしまうと、やっぱり、どうしても嫌いになりきれない。

「天使」「女の子みたい」と言われていたのが、いつの間にかノーブルなかっこいい男性に成長していた次男の、それでも変わらない柔軟な性格を見ていると。
見ている側まで幸せになるようなジョシュアの笑顔、その影にある壮絶な努力を思うと。
ジュンの、「雅」という言葉がよく似合う、しなやかなダンスからは想像できないような奇行に笑みがこぼれる時。
ライトが当たった瞬間猛虎に豹変するハムスター、ホシの、天性のカリスマ性にはっとさせられる時。
最近楽しく生きることにしたらしいウォヌの笑顔を見て嬉しくなる時。
ウジのその小さい身体の中に、いったいいくつの才能が隠されているんだろうと改めて驚く時。
ミンハオの、優しさと思慮深さがうかがえる、的を射た発言の数々に深く頷く時。
一見完璧そうに見えていつも何かしらやらかすミンギュの、やらかした時の照れくさそうな表情を見ると。
たった4年前、「もっと上手くなりたいのに」と泣いていた少年が、立派な王の装いで、剣をかかげて世宗文化会館の真ん中に立った日を思い出すと。
バラエティを誰よりもよく理解しているスングァンの器用さと歌にかける情熱、そのひたむきさを見ていると。
飄々とした生き様がそのまま表れたようなバーノンのラップと、秒刻みでころころ変わる豊かな表情を見ていると。
こちらまでなんだか笑えてきてしまうような声で爆笑する姿とは裏腹に、ステージの上では誰よりも魅力的な表情を覗かせる末っ子の姿を見ると。

ペンライトの海を、CARAT一人ひとりの顔を、12人の弟たちを、心からいとおしそうに見つめるリーダーの眼差しを見ると。

わたしはやっぱり、SEVENTEENから離れられない。

家中に散乱する母が集めたグッズにうんざりすることもあるし、iPhoneのシャッフル再生でSEVENTEENが流れてきたら飛ばしてしまう時もある。
それでも辛いことがあった日には「Hug」が聴きたくなって、癒されたい時は無意識に、「SEVENTEEN Snap Shoot」とYouTubeで検索している。
初めて見た時と少しも変わらない、ジョシュアの心底楽しそうな笑顔を見れば、なんだか懐かしくて目頭が熱くなるし、午後6時くらいの暮れかかった空を見ると「あ、セブチカラーだ」ってほんの少し嬉しくなる。

そういう意味で私は、SEVENTEENのことがまだまだ大好きなんだと思う。
これは決して、何年か見ているうちに芽生えた情とか、そんなんじゃない。私が彼らを好きな理由はたぶん、「曲が好き」とか「雰囲気が好き」とか、そういったものとはもっと違うところにある。どれだけ時間が経っても、どれだけコンセプトを変えても、根本的なものはきっと何ひとつ変わっていないからこそ、いつ立ち返っても、出会った頃と全く変わらない安心感を感じさせてくれる。かといって一つのところに留まり続けるわけではなく、カムバックの度に目新しい感動と、驚きと、胸の高鳴りを与えてくれる。それは間違いなく彼らの魅力の一つであり、私はそれが好きだ。そういう形の「好き」があってもいいじゃないと、最近やっと思えるようになった。
SEVENTEENに出会っていなければ今の私は有り得ないし、今の高校にも通っていなかっただろう。中学時代いろいろな場面で活力を与えてくれたのも、様々なことのきっかけになってくれたのも、ほかでもないセブチなのだ。その事実は変えられない。

母がSEVENTEENを好きにならなければ、両親が実質的な離婚状態になることはきっとなかったし、セブチと母にまつわる嫌な思い出は数えきれない。だから彼らを一点の曇りもなく好きだと言えるようになるまでには、まだまだ時間がかかるだろう。
けれど、嫌な思いをした回数の何倍もの笑顔と幸せな思い出を、彼らからもらってきたのも確かだ。だから、卒業して、この家を出て、もっと心に余裕ができたら、私もいつか自信を持ってもう一度、「CARATです」って言えるようになるかな。

余計なしがらみを抜きにして考えれば明らかなこと。
SEVENTEENは、唯一無二の、本当に素晴らしいグループだ。こんな素敵な、魅力的なグループ、きっとどこにもない。
その光をまっすぐ見つめられるようになる日を待ちながら、彼らの行く道を、少し遠くから見守っていようと思う。




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