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マインドフルネスが足りなかったあの頃

半月ほど前、図書館でふと手にした本があります。その本を借りようと思って図書館を訪れたわけではなく、たまたま通った本棚で目に付いたそのタイトルは「マインドフル・ワーク」。

マインドフルネスがあるときから急に本屋の本棚で存在感を放ち出した、という感覚はあったのですが、これまではちょっと気になるな、という程度の認識でした。それが、なぜだかこのときは、手に取ってみようかな、読んでみようかなという気になったのです。そして、その直感は「当たり」でした。

この本で紹介している「マインドフルネス」とは、そのアイデアの起源である仏教の瞑想から宗教的な要素を切り離し、純粋に気持ちの整理や心の静けさ、そして自分の周りや地球上に存在する人への思いやりの気持ちを育てるための実践です。

実際にマインドフルネスを日常生活に取り入れている著者が、アメリカ各地でマインドフルネスを実践している企業の元を訪れ、詳細な取材をすることによってまとめられているので、具体例が多くマインドフルネスの現状を知るためには優れた本だと感じました。

職場にマインドフルネスを持ち込むと、こんなにも働き方や会議の持ち方、そして企業としての社会貢献度や存在意義が変わっていくのかという驚きがありました。そして、それは自分自身の仕事を振り返ってみて、多くの反省点があることに気づくきっかけにもなりました。

大学院を出たあと、まちづくりのNPO法人に就職したときには、とにかく目の前のやるべきことに精一杯で、同僚やボランティアとして関わってくださる会員さんへの態度は、今思えば申し訳ない思いでいっぱいです。

あのとき、もっとマインドフルにふるまっていたら結果はどうなっていただろうか。こんな言い方もできたのではないか。自分が役割を担うこともできたのではないか。そして、別の解決策が思い浮かんだのではないだろうか。

そんなことを気にしても仕方ないのですが、本を読みながら至らない過去の自分を思い返し、恥ずかしいやら情けないやら、過去の自分に言いたいことが山ほど出てくるのでした。

そして、長岡へ移って2年目の年。逆に自分が大変な目に遭うことになりました。こちらにも非はあったかもしれない。でも、自分ができる最大限のことはやったつもりだし、開き直って相手を責めるようなこともなかった。ただ、相手がこちらに対してマインドフルに接してくれたとしたら、きっとこういう形の結末は迎えなかっただろう、などと5年たった今でも思ってしまうのです。

ただ、それももう終わった話。この本から学ぶべきことは、次に同じ状況が訪れたとき、自分は相手に対してどれだけマインドフルに接することができるのか、相手の気持ちを理解し、そこからお互いにとってよりよい道を歩むための共同作業に移ることができるのか、ということなのでしょう。これまでやってきたことは、元に戻すことはできません。でも、これから先に起きることは、自分の思いやり一つで変えていくことができます。

過去に自分のために悲しい思いをした方たちには、今はマインドフルに周りとの関係性をつくっているよ、あのときは本当にごめんなさい、と心で思いながら、実践することを身をもって示していくことしかないのだろうと思うのです。

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