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朝の目覚めは歌声とともに

毎朝、スマートフォンのアラームで起きている。

アラーム機能は日常的に重宝している。例えば出掛ける二十分前に、或いは寝る準備を始める時刻に、またはお米を洗う頃合いに作動するようセットして、予定をうっかり忘れても拾えるように予防線を張っている。まるで肩を叩くように、バイブや音で報せてくれる。

音は本体に初期設定で入っているメロディから選ぶか、好きな楽曲を流すこともできる。ここ最近は、朝の起床時のアラームに米津玄師さんの曲を設定している。
掛け始めたのは、酷暑の盛りにセミが沸き立つように鳴く時期だった。あれから、窓が結露するほど冷え込む今日まで、四カ月程の間、パソコンを触って作業しているときも、料理中も、傍らにスマートフォンを置いて曲を聴き込んだ。

これという発端があるわけではなく、ただ強いて言えば、常々、流行りの曲を聴く習慣がない。音楽だけでなく、現在世間で主流になっているコンテンツがなにかという興味がまんべんなく薄い。そういう私自身に対して、「もう少しどうにかしたほうがよくないか」と伺いたい気持ちが平生からある。

例えば居間でドラマを観ているときに、夫と娘が
「この人何処かで見たことがある。あ、特撮の〇〇に出ていた誰々」と盛り上がる。けれど私はかなり遅れて思い出す。また、「この声優は〇〇を演じていた誰々」と娘が言うときも、指摘される瞬間までロクに気付けない。

関心をもって見ているようで何処か見切れていない。自分の視野のおぼろげさがずっと気になっていて、一旦どこかに焦点を当ててみたいと常々思っていた。それで朝のアラーム音に米津玄師さんの曲を設定した。

選んだ理由としては、LemonとM八七が好きだからだ。それ以外に知っている歌は娘がよく聴いていたアイネクライネと、ハチ名義のパンダヒーローと砂の惑星の動画を見たことがある程度だ。
Lemonは当時、ドラマの主題歌だということだけ知っていた。ドラマも観たことがなかったが、テレビかネットで偶然聴いた。この歌で米津玄師という人を初めて認識した。
かつて愛し合った恋人と故あって分かたれ、今でも切実に愛しているという、身を切られるような痛みを紡いだ物語として聴いた。ラストの一節が儚くて、抜けない棘のように胸に残る。
ドラマの内容を知ってからは冒頭の歌詞に衝撃を受けた。深い喪失感と祈りとが胸に迫ってくる。米津玄師という作家の、繊細に元の物語の要素を掬い上げて再構築し、曲と歌詞とで新たな物語を描写して、聴く人から「この感情を知っている」と同質の心の動きを引き出していく表現力に惚れ惚れした。

M八七もそうだ。歌の中にウルトラマンは出てこない。それでも楽曲が紡ぐ物語の中には確かに「人間を好きになったウルトラマン」がいる。私の中にある記憶や感情にも擬似的に触れてくる。歌声と詞とが鏡を覗き込むように心を写し取って、聴くたびに、幼い頃の憧れや大人になってからの郷愁に似た切ない想いがこみ上げてくる。

そういった理由で米津玄師の歌を聴くことに決めた。

毎朝、歌声で目覚め、灼熱の夏と短すぎる暑くて寒い秋が過ぎ去った。台所で人参と玉葱を煮込んでいるときなど、不意に頭の中で曲が流れるので口ずさんでみる。

難しい。まず音域が広すぎるし、歌詞も拾えていない。

火加減を調節する合間に、歌詞を表示して目で追ってみる。曲に合わせて歌ってみるものの、途中で曖昧な鼻歌交じりになった。
いつまで経っても歌詞がうろ覚えなので、どうすればマトモに歌えるものかと思案した結果、初めての一人カラオケを決行した。

二時間。全て、米津玄師の曲を入れた。

タイトルと中身を結びつけて記憶していないので、見覚えのあるものから入力しては、

「あぁ、このタイトルはこの曲のものだったのか」

と理解する。

「こんなに儚い歌詞なのに「馬と鹿」なのか。感性が深い」

と意外に思うことの繰り返しだ。

殆どが初めて歌う曲なので、画面に表示される歌詞に合わせて歌いながら「こういう歌詞だったのかぁ」と、朝から何度も聴いていたのに初めましてみたいな気持ちで一杯になった。

二時間歌っても知っている曲をまだ全部は歌い切れなかった。四ヶ月かけて聴き続ければ、うろ覚えなりに意外と耳に残るものだなというのが成果だった。そのうち誰かと米津玄師詰め合わせカラオケをするのも面白そうだなと思う程度には楽しめた。
私は歌が巧いか下手かでいうとあまり得意ではない。音量の調節が苦手だし声も掠れる。けれど、歌うこと自体は子供の頃からずっと好きだ。音楽は歌うのも聴くのもいい。

米津玄師はこの先も聴き続けるとして、そろそろ見聞を広げるというか、他の人の曲も覚えてみようと娘におすすめを聞いたところ、

「須田景凪がいいかも」

と返ってきた。

「誰それ」

「シャルルのひと」

ああ、それなら知ってる。むしろ好きだ。時々カラオケでも歌う。試しにいくつか楽曲を再生してみると、聞き覚えのある曲が耳に飛び込んできた。

「あ、これハイキューの主題歌だ」

「スキップとローファーの。これ、シャルルの人の歌だったのか」

当時、映像とともに心地よく聴いていたのに、誰の歌声なのかという点が意識の中で繋がっていなかった。私の中は線で結ばれない点だらけなのだ。スキップとローファーの主題歌は特に、春風の中を踊るように軽やかに駆け抜けていく青春の愛おしさや痛み、そして初めて知る感情を、爽やかにかつ素直に歌い上げていくのがよい。などとにこにこしながら聴いていたにも関わらず。

パソコンでの作業中に何曲か流してみたけれど、「これはシャルルっぽい音だな。こっちは雰囲気が違う」という大雑把な識別程度で、まだ全然、耳と感覚が慣れない。無理なく少しずつ開拓していこうと思う。

今朝も布団の上のスマートフォンが定刻に震えた。米津玄師の曲のイントロが鳴り始める。寝返りを打ちながら時刻を確認して、もっと眠っていたいと布団にくるまりながら目を開ける。
起き上がり、思い切ってカーテンを開くと、白く眩い光が部屋に差し込んで、部屋にかすかに残る夜の気配を消し去った。夜の強制終了と朝の起動のスイッチ。
曲を鳴らしたまま、スマートフォンを机に置く。歌声に背中を押されながら、まだ眠りたい私はルームランプを消した。

私の朝はそんな風にして、歌声で始まる。


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もちだみわ
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