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はじまりのキス、終わりのキス(2)

恋の話です。六回に分けて投稿します。一つの記事につき1500〜1800文字です。
読めるところまででも読んで頂けたら嬉しいです。

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 彼が本社に転属して直属の上下関係がなくなって、月に数回、あるいは季節をひとつまたいだ頃に思い出したように私からメールを送る、ゆるいつながりになった。
 ある冬。週末に兼ねてから楽しみにしていた映画が封切られ、友人と二人で観に行こうと嬉々としてチケットを取った。出掛ける段になって風邪で具合が悪いとメールが入って、くれぐれもお大事にと返した。知人連中を当たったが、普段は暇を持て余している癖にこういう時に限って誰も捕まらない。ひとり映画は慣れっこだ。されどチケット代が勿体無い。駄目で元々で彼にメールをした。
『今日封切りの映画の前売り券を買ったんですけど、友達が行けなくなって。これって払い戻しできませんよね?』
『確か出来ない筈です』
『暇ならご一緒にどうですか?』
 代金はいりませんからと話を振る。彼は気が進まないような、けれど明確に断るでもなく流される感じで応じた。現地集合、現地解散の最短スケジュール。カフェで感想を言い合うオプションも勿論付かない。彼が終始無言だった事も含めて大方予想通りだった。
 別れ際、彼は素っ気なく背を向けるとひらりと手を振った。それしきのことで簡単に舞い上がってしまうなんて我ながらお安くて腹立たしい。

 大通り沿いの紅葉がほのかに赤みがかっていた。
『去年の冬に観た映画の続編が掛かってるんですけど、暇ならご一緒にどうですか?』
 私のメールに彼はやはり流される感じで応じた。最短スケジュールをこなして駅へ向かう。私は物語の余韻をまとったまま興奮気味に映画の感想をまくしたてた。彼は透明な耳栓をしているらしく相槌ひとつ打たない。
「主人公が風の翼を操って急降下するシーンは最高でした」
 うんうんとひとり頷く。不意に彼が口を開いた。
「煙草、大丈夫ですか」
「どうぞ」
「いえ、そうではなく」
「よく分かりませんが、大丈夫です。煙草は飲み屋で慣れっこです」
 彼は肩を竦めると、細い路地を曲がって焦げ茶色の古風な扉を押し開けた。赤い布張り椅子とチョコレート色のテーブルがこじんまりとした店内に澄まし顔で並んでいる。階段は大人一人が漸く通れるだけの幅で、踏みしめる度に愉快に軋んだ。何もかもが一回り小さくて、小人の家に来たみたいだった。
「調度品が時代がかっていてちょっとしたタイムスリップです。しかも大抵の客が煙草を吸ってる。面白空間ですね」
 彼は私の言葉ににやりと笑った。初めて見る顔だった。
 窓際の席に腰を下ろした。ウエイターは一人で切り盛りしているらしく中々捕まらなかったが、それも含めて味わい深かった。
 不意に青い煙が私達の間に滑りこんだ。紐状の煙が透明な波間を漂うようにゆらりとほどけていく。彼は煙の向こう側を眺めるような目をして言った。
「僕も煙草は慣れっこなんです。親がヘビースモーカーでしたから」
「あなたは吸わないんですね」
「昔は吸いましたけど──埒が明かないというか。ああ、すみません」
 彼が手を上げるとウエイターが折り目正しく注文を取りに来た。私は手渡されたメニューを目でなぞりながら、どうして彼は私と出掛けるのだろうと考えた。

 川沿いの桜が日差しに輝いていた。
 例によって映画を観た後に喫茶店へ足を運んだ。コーヒーカップからふわりと浮かぶ木の葉の香りと煙草の煙に包まれながら、取り留めのない会話を途切れがちに交わす。
 テーブルにの上のスマートフォンが震えた。私は液晶画面をちらと確認して無視した。
「出ないんですか?」
「いいんです。この番号、前に出たらセールスでした。050は全部そうでしょう?IP電話は場所が特定しづらいからって悪賢い」
 液晶画面を彼に向けた。050から始まる番号がしつこく明滅表示している。彼はわざとらしく頬杖をつくと試すように言った。
「なにがIでなにがPかご存知ですか」
「IがインターネットでPが電話かと」
「ご存知でしたか」
「小馬鹿にして頂き恐縮です」
「IP電話は利点が多い。法人でも個人でも使っている方は結構います。いま僕が担当している取引先もそうです。十把一絡げに悪徳業者と決めつけるのは早計ですよ」
「早計で結構です。ところで、あなたはそろそろ昇進するのでは?この前担当した仕事、大層儲けが出たそうで。おかげで我社の株価も好調です」
「僕は有能ですから」
 しゃくにさわるほど平然と言った。
 そういうところも好きだけど、取り敢えず店を出たら脛に一発蹴りをくれてやる。

1807文字 5枚と6行

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