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自分探究①ケイパビリティファシリテーション

「対話の場を作りたい」と思っているけれど「どんな場をどんな風に創りたいのか」についてはふんわりとしかわかっていません。
「なぜ創りたいのか」については心の奥底から湧き上がってくる想いがあるからなのですが、その想いのひとつは自分自身を救ってあげることです。自分自身を理解しないまま子育てをしてしまった後悔があるので、ここから先の50年は自分自身が欲しかった場を創りたいと思って学んでいるのです。

私が欲しかった「対話のNukadoko」を創りたい。
すべての人が安心できる居場所になりたい。
この問題について「助けてほしい」と願ったら「ここに来たら見つかるかもよ」という場所になりたい。そんな活動をしている個人は団体は日本中にたくさんあります。「そこを手伝ったらいいんじゃないか」「その方々の活動を広める活動をしたらいいのではないか」・・・
深く関わってみたい、そう思える活動もたくさんあります。


でもいまは、なんだかそこではなく自分でデザインしてみたいと思っています。「どんなデザインがあると自分自身が救えるのか」は死ぬ時まで考えていきたい私のテーマだと思います。

プロセスワーク関連の本をAmazonで検索しているとヒットした本があります。

この本を購入してから「安斎勇樹さん」のことを認識しました。でもこれまでにSNSで流れてきてた記事を保存しているなかに「安斎さん」の文章も含まれていました。安斎さんの文章はとってもわかりやすくてバイブルになりそうです。手元に置いて繰り返し読むことになります。

今朝はnoteで「ケイパビリティファシリテーション」という言葉を初めて目にしました。

私はいろんなコミュニティに所属していろんなオンラインの対話会に参加させていただいているのですが、あるコミュニティで「〇〇のことを〇〇までに決める」という話し合いに参加した時、「ポジティブケイパビリティ側」の人と「ネガティブケイパビリティ側」の人がいたんだなぁって理解しました。私のタイプは完全に後者です。これまでそのコミュニティは後者側の比率が高く、前者が少なかったもしくは前者の気質を封印していたグループだったと思います。後者が多いグループで「〇〇のことを〇〇までに決めること」はかなり難しくて、きっと声の大きな人の意見で決まっていくことになったと思います。

そこを両者が歩み寄ろうと努力したために長い長い時間をかけて話し合いが行われました。それは同期のコミュニケーションも非同期のコミュニケーションもフル活用して行われたのです。参加しているときは何度も何度も途中で参加するのを諦めよう離脱しようという気持ちに揺さぶられました。そこを経験したあとの安斎さんとの出逢いがあったので、やっぱり出逢いは必然だなぁと今回も感心しているところです。

とにかく動いてみる。
わからないからこそこうやって言葉にしてみる。


noteをはじめて13日目。ここはすっごくいい場所ですね。
スナフさんという方の写真を使わせていただいています。
この方にも出逢えてよかったです。この方の写真を選ぶのが楽しみの1つになってます。ありがとうございます。

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