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ギフテッドという性質について

ギフテッドについてよくイメージされるのは、勉強がすごいできる人や、計算やパズルがものすごく得意な高IQ者、知能が高くなんでも出来て社会的に成功している人なんかだろうか。

それは一部の側面として正しいこともあるけれど本質はそこじゃない。

大元にあるのは何かや誰かに対して本当に一心になれる心を持っていること。

自分のことを顧みず、余計なものに囚われず、それのためだけに一生懸命になれる。

完璧を目指し妥協をしない。

そのため芸術や学問の分野で秀でた才能を示すし、人や社会のために心からつくすことができる。


普通の人からは自分をよく見せたい、自分が気持ちよくなりたいという感情が見えてしまう。

だから話が噛み合わないし違和感を感じてしまう。

口では正しいことを言っているのに行動は違うことをしているのを見抜いてしまう。

そんな矛盾や本音と建前のようなものが嫌い

みんな本音でちゃんと話せ建前に近づけていくべきだと思うし、自分は建前になるような理想の姿であろうとする。

しかし正しくあろうとしすぎるが故に攻撃されることも多い。

理解ができないから恐れたり型にはめようとするし、批判されている気になってくるから排除しようとする。

ギフテッドの孤独感や生きづらさはそういうものからも生まれている。


能力的には頭の回転が速く本質や大切なことがわかる力が強い。

感情が強く心がこもっていて、夢中になれることには真剣で集中力も高い。

だけど必ずしも勉強ができたり高いIQを持っていたり、なんでも得意で出来るわけじゃない。

高IQ者の中に入っても話のペースや深さは合うかもしれないけど大本が違うから違和感を感じる。

得意なこと以外は普通レベルだったり、苦手だったりもする。

環境に恵まれなければ能力を生かすこともできず、社会的に成功することもない。


目に見えるわかりやすい指標はない。

ギフテッドだからといって完全な人間じゃないし常に正しいわけじゃない。

人間的な欲求だって持っている。

だけど生きている世界が普通の人とは違うそんな人たち。

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