おじいさんの森


貸し出しカードの上限は10冊だった。
私と妹と弟とそれからお父さんとお母さん、5人分のカードで
50冊も借りることができる。
兄弟がいてよかったと思いながら、真剣に本を選んでいた。

こまったさんシリーズも借りなくちゃいけないし、
斎藤羊さんのシリーズも借りなくちゃいけない。
借りれる期間は10日間だけど、おかあさんが連れてきてくれるのは
たいてい木曜日だから一週間で持ち越さなくていい量を選なくてはいけない。
もちろん延長することもできたけれど
一回返却してすぐに同じ本を借りるとき
決して愛想のよくはない無口なおじいさんの前で居心地の悪い気持ちになると知っていた。

小さな森のような緑に囲まれたその図書館の名前は
おじいさんの森 といった。
受付横には置いたゴールデンレトリーバーが
べったりと床に座っていた。

新品ではないけれど清潔な犬で
とてもゆっくり動いていた。

おじいさんは返却日がスタンプで押された紙を無言で本に挟む。
きっと何度か聞いているはずなのに
記憶にはおじいさんの声も犬の声もない。


とても静かで騒ぐ子供もいなくて(そもそもそんなに人がいなかったのもある)
友達に会うこともなかった。
その静寂は大きい図書館での
誰かに抑圧されたような静かさよりも
キャンプでいった
森の中で時々出会う静かさに近かった。


敷地は大きい木に囲まれていて大きな影を作っていた。
今考えればきっと空調のおかげなのに
なんとなくこの木に茂る葉っぱたちのおかげで
この場所はこんなに涼しくて気持ちがいいのだと
信じていた。
森に守られた図書館。
とにかく私には特別な場所だった。

小学校にあがって、みんなはいつもテレビや
ポケモンの話をしていた。
かいけつゾロリの話だけは、はいっていくことができた。

クラスに飾り程度に置いてある本は
たったの五冊だけですぐに読み終わってしまった。
お姫様がゼリーで池を固めて渡る話があって
佐藤多佳子さんのサマータイムに出てくるボールいっぱいに作るゼリーを思い出した。
そのことを話したかったけれど
隣の席の女の子はずっと くもん の話をしていた。

夏休みの宿題で
梨木果歩さんや湯本かずみさんがみんなにとっては
読書感想文用の本を書いた人でしかないと知った。

誰かがゲームの時間制限を破って怒られるという話をしていた。
ああ私もお風呂に本を持ち込んだり、トイレで読んだり
本を夜ふかしして読んで怒られるなって思った。

気持ちわかるって思っていたけれど
言わなかった。
なんとなくいわないほうがいいと気がついていた。

小学一二年生の頃の記憶はあんまりない。
教室から見える金木犀の木にぶら下がって花を振り落としたら
黄色の雨みたいになってどんなに楽しいだろう。
(実際にやって怒られた)
あのカラスの体の割に大きい手が
私をつかんで空を飛んでくれたらいいのに。
いつもそんなことばかり考えていた。

三年生のとき、家庭科と国語の先生が担任の先生になった。
かおり先生は特別な先生で、映画や本が大好きな先生は
授業中によく最近見た映画の話をしてくれていた。
話かたがものすごく上手で 着信アリ を話してくれた日は
お母さんの携帯の着信音を確認した。

きっかけはなんだったのだろう、教室で読んでいたんだろうか
とにかくその日、私は梨木果歩さんの 「リカさん」を先生に貸した。

先生は3日くらいして返してくれてたくさん感想をくれた。
おとなから ありがとう と言われた。
私はきちんとしている子ではなくてどちらかというと
だらしなくて怒られてばかりだった。
たいてい私の周りの大人は困っていたので
先生のありがとうに私は不思議なひとだなとおもった。

先生はその本の話をものすごく上手に帰りの会で話した。
そして、クラスの女の子何人かに貸すことになった。
文庫本だったし、何度も読んでいたので
ためらいなく貸し出した。

何人かの女の子の手に渡って返ってきたとき、
カバーの後ろの挟むところが完全に破けてしまっていて
先生が破ったわけでもないのにごめんねと言われた。

新潮文庫は破れやすいと思ってたし、と
不思議と嫌な気持ちにならなかった。

そのクラスから進級する日、先生がダンボールを持ってきた。
そこには古本屋で見かけるような昔の赤川次郎やらがたくさんはいっていた。
先生はもう読まないし、古いけれどよかったらと言った。
もう捨てちゃうからと。

本は日焼けして変色していて古本屋で積まれているものたちと
一緒の色をしていた。
胸がドキドキした。

家に持って返ってすべて読んだ。
一番多かったのは赤川次郎で、私にとって特別な作家になった。
三毛猫も吸血鬼シリーズも全部追うと決めた。

私はちゃんとお礼を言えたのだろうか、どんな反応をしたのかも
記憶にない。

あれが人生で一番嬉しいプレゼントで、その一番はまだ更新されていない。

私は大学生になって、理系に進んだ。
東京に出てきて、大きい本屋も古本屋もたくさんあって
古本屋の茶色い本を見るたびに先生を思い出す。


大学の友達と冬休みに行った岩手旅行で
雪の積もる牧場で並んで雪の中に寝転んだ。

横の視界を遮るくらい雪は深くて
しん
と静かになった。
ときが止まっていた。

おぉ
と思って
”本当に音が消えた!”
と友達の顔を見て

なぜか”おじいさんの森”を思い出した。

まだ手のかかる妹弟がいるのに
忙しい合間をぬって車を出してくれたお母さん。
20冊以上の重い本を運んでくれて、
私が時間をかけて選んだ本に何も文句もいわない。
だけどお母さんがさっと選んでくれる本のほうが
どれもものすごく面白いのを知っていた。

無愛想に返却日をスタンプした紙を挟んで
本を貸し出してくれたおじいさん。
笑わないけれど怒ることもしない
はじめて見る大人だった。
学校にいる急に怒り出す先生と全然違った。

沈黙することと誰かのそばで一人でいることを
許してくれた小さな場所。

雪の中はおじいさんの森と同じ音がした。

その時ちょうど少し落ち込んでいた。
大人になってもうまく立ち回れない
自分が恥ずかしくて誰にも相談もできなかった。

でももう大丈夫かもしれない。
雪の上で笑う友達の写真を取りながら
今のよくわからない気持ちも全部
報告したい気持ちになったけれど
恥ずかしさが勝ったので
ありがとうを込めてたくさんシャッターをおした。
メルヘンな自分はわかっていても恥ずかしい。

実家に返ってお母さんに旅行の写真を見せていると
お父さんが帰ってきて
「本屋さんにいくかい?」といった。

実家に帰ってくると父はいつも決まって
「本屋さん行く?」
と聞いてくる。うちの田舎には大きい本屋さんはないのに。


どこにいくにも車が必要な田舎なので、高校生までは
本屋さんに行くときはお父さんに連れて行ってもらっていた。

ああそうか。

すきさえあれば本屋さんに行きたいとねだる高校生までの私が
まだ父の中にいるのに気がついた。


少し太った父の散歩も兼ねて
40分位かけて本屋さんへ母と歩いて向かった。

東京では見たことのないチェーンの本屋さんは
高校生のとき見えてたそれより
ものすごく小さい。

本屋さんの前にあるアイスの自動販売機で
買ってもらえないのに
次食べるアイスを決めていたことを思い出す。

お父さんが出してくれる
みかんの缶詰を凍らせたアイスがすごく美味しかったなあ。

「これだけでいい?」と聞いて
私の選んだ文庫本をレジへ持っていく
少し丸くなったお父さんの背中に
今までよりもありがとうを込めた。


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