自分のルーツの覚がき
受験期時代はよく自分の歴史とか書き出して、そこから将来やってみたいこととか、自分の能力とかに気づいてたんですが(AO入試だったし)
最近自分のことまとめてないなって思って、ちょっと挑戦です。
①大学入学まで
主に志望理由。
・振付とかの分析が好きで、プログラミングで何かを作ることも嫌いじゃなかった。ライゾマティクスの真鍋さんとMIKIKO先生のような存在に憧れていて、
振付的観点からと、音楽や季節的観点、劇場から道路までといった空間的観点を持ち合わせたクリエイターになりたいと言うのが将来の夢でも、志望理由でもあった。また、誰でも表現できる物理的空間というのも欲していた。なんでだかわからないけれど、ネット配信やyoutuberが台頭する中で、誰でも路上ライブできたりとか、カラオケボックスで歌えたりとか、そういうローカルな出会いを求めている自分がどこかにいたのだろう。うまく説明できないけれど、通販じゃなくて実店舗の本屋で新しい出会いを求めたい感覚に似ている。
追記(2022/8/16):技術や映像が主体となり、依然として猛威を奮っている中、生の舞台表現やライブなどの需要は上がってきている。コロナ禍も相まって、いまだにフェスで叫べなかったり合いの手入れられなかったりするけれど、それでもこぞって通う人たちはいる。
・あと、なぜかふりかけが大好きだった。今も絶対にご飯のお供は丸美屋ののりたまなので、ふりかけで服作って写真を大学に送った。
②大学入学して〜11月
・授業
とにかくプログラミングの授業をとった。エグかったしわからなかったけれど嫌いじゃなかった。逆にそれ以外の授業は必修の英語くらいしか覚えていない。
・サークル
競技ダンスとミュージカルとダンスサークルですごく迷っていた。
やりたいことはミュージカルの裏方だけど、当時はたかがサークルで経験積んでも意味ないんじゃ?とか思っていた。今思うと素人がよく言うよって感じだけども。
そして私は、夏終わり頃まではミュージカルサークルでプロジェクションマッピングを作り(ちょっとだけ)、秋にはなぜか役者になっていた。もともとダンスで全国大会いくくらいにはやり込んでいたから、表現することも大好きだったのだ。そして、小学校時代に姉は歌が上手でオーディションに合格し、私は落ちたことで歌に対してすごくコンプレックスを持っていたし今も苦しんでいるが、本当は歌うことが大好きなのだと気付かされた。
そんなこんなで、そこから大学卒業まで8回舞台に立った。人前に自分ではない存在として立つことを、奇しくも中学高校でも創作ダンスというジャンルで行っている。人前に自分じゃない存在で30回くらい立っている人、プロの役者さんやダンサーさんを除いたら、もしかしたらそんなにいないかもしれない。
③大学1年11月〜2年秋
・授業
小さい頃からの一番の夢が空を飛ぶことなので、語感だけで「空を飛ぶ」という授業を履修した。
また、まだ嫌いじゃなかったプログラミングを進めるためにもと思いデザインの授業をとったのだが、これがまあエグくて体力的にも内容的にも死にそうだったのを覚えている。当時はサークルを行うキャンパスに1時間20分かけて移動する、ということを週5で行っていたこともあり、それも負担だった。
・ミュージカルサークル
たまたま運がよくオーディションに受かったりオファーをもらったりしてこれでもかと言うくらい役者をしていた。ほぼ毎日稽古漬け。でも全く苦じゃなくて、むしろ楽しかった。興味関心が演じることに全振りだったし、プロに興味を抱いたことも多々ある。
同時並行で、ミュージカルの振付にハマった。①にもあるように創作ダンスとしての振付はほんのちょびっとしたことはあるがほぼ未経験だった。だがいきなりサークルで1曲担当する機会ができてから、構成を作る、感情を動きのすべてに落とし込むことにどハマりした。こちらも2人〜20人、3分〜10分まで、様々な曲を9曲分振付した。
この頃から友人に勧められ、観劇に行くようになった(むしろなぜ今までいかなかったのか)。ただ、当時の私が注目するのは役者とストーリーというより、照明や舞台、振付だった。そこから演出にも興味を持ち始める。
当時は、演出がいかにストーリーや役者の演技の根幹に関わっているか知りもしなかったので、ただ見た目の派手さで憧れた部分が大きい。
けれど、この辺りで悩みが出てくる。
1.サークルでは演じること、振付。大学では作る側と分けて行うようにしていたのだが、どんどん興味が演じることの方に持っていかれる。なら本気で役者を目指せば良いのだが、演出も興味があるし、振付もしたい。
2.役者以外のことをやる時間がどんどん減った。一日中夢中で役のことやサークルに全力でいたら、面白いと思ってとった授業もなあなあになっていた。サークルを休みたいと思っても、友人の頼みを断れなくなってしまっていた。
3.舞台に乗れる数が減る、という理由だけで研究会を先送りにした。
そんな形でよく悩むようになり、夏休みはあまり楽しく過ごせなかった。
④大2年秋〜今
これから細かく書くが、結論から言うと死ぬほど病み、プチ不登校にもなった。
・授業
前期で入れなかった研究会に入った。研究分野は興味がある舞台装置や電飾にも携わることだった。志望理由として、
と書いている。要するに観客側に臨場感を持ってもらうような生ものが作りたかった。
そして、研究会でコーディングと並行して電子工作を学び始めるが、ここで大きくつまづいた。私は全く知識がないのに加え、高校時代に留学していたせいで数学と物理の知識がすっぽり抜けているのだ。どんなにやってもわからない事は次第に嫌いになり、それ経由で今まで嫌いじゃなかったプログラミングも段々と苦痛になった。
電子工作わからないことをわかるようにするにも、自分のもっと興味がある演じることに時間を割きすぎた結果解決しなかった。そのために嫌いになったしまったのだ。
当時の検索履歴は、だいたい「電子工作 嫌い」「電子工作 好きになる方法」とかだった。
いざ研究会の時間になっても、周りのみんなにこいつ全然できないと思われる、とか教授にずっとサークルして遊んでいると思われることが怖くて、心臓がばくばくしてしまい莫大なプレッシャーがかかった。
次第にそれは強迫観念へと変わっていった。
そして、サークルの母体が別キャンパスにあることもあり、次第に本キャンパスを訪れなくなってしまった。(それでもなんとかフル単した、教授がすごく優しかった)
・サークル
サークルでは研究会の息抜きの気持ちで役者をやったりしていた。
段々と自分はサークルの中でも役者を多くやっている方の人間になっていき、どんどん要求されているものが上がっている気がした。本来なら「それすらも挑戦だ、楽しい!」と思ってやっていたかもしれないが、研究会のことでだいぶ鬱になっていた私は、次第に演じることに楽しさを感じなくなっていった。しかしこれはある友人のおかげで回復した。
また、「将来エンタメ系に進むならサークル以外でもその経験積まなきゃ終わりじゃね」とも思っていた。
だが、サークルという気楽にできる場で演出としての経験を一度積んでみて、本当に演出がやりたいのか、それともあまり興味がないのか確かめたい気持ちもあり、2020年にとある公演を演出することになった。
サークルで責任職にほとんどついたことのない私にとっては大きな、大きな挑戦だったけれど、準備をしている期間はすごく楽しかった。
自分が演出をする一つ前の公演でも役者と振付を担当し、演じる楽しさを取り戻した私は毎日を充実させていた。
そして、自らが演出となった作品も、役者をやるはずだった作品もコロナの影響でなくなった。
今手元に残っているのは、電子工作に対する苦手意識と、演出をしてみたいという気持ちだけである。軽く絶望したし、家で何度も泣きじゃくったが、それでも前を向かなければいけないと思い、考えを整理するためにこの記事を書いている。
⑤まとめ?
入学まで:
振付的観点からと、音楽や季節的観点、劇場から道路までといった、空間的観点を持ち合わせたクリエイターになりたい
〜1年後期:演じることがひたすらに楽しいと気づく
~2年夏:観劇回数は少ないが、「観る」ことよりも「やる」ほうが好き
役者ばっかやってきたけどやっぱり演出も好きかもしれない
なら舞台を「創る」方の勉強してみる?
~2年秋:
・技術を使って世界観を作る「舞台」と人の距離感を変えたい
・「舞台」という概念の良さ(生の表現という価値)を失わないまま、観客の体験を拡張したい
・舞台の世界観の共有に置いて、観客が能動的に参加できるようなシステムをデザインしたい
~今:
とにかく演出がしてみたい
創る方の勉強で挫折したのでやり直したい
でも演じることも好き、結果的に何をしたいのか確かめたい
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