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ふら、とインドを歩く話 6

ふら、と“歩く”が善い街で

ふと目が覚めると外にはインドの朝焼けが広がっていた、おはようございます。

蛇口で顔を洗い、ぼんやりと外を眺めながら西に流れていく景色を楽しんでいた。駅名のアナウンスも例の如く聞き取りにくいので、同じコンパートメントの皆様に“Lucknow(ラクナウ)駅に着いたら教えてください…”とお願いする。

数時間後に無事到着、目的の宿までは少し遠い。次のコルカタ駅までのチケットを購入しようと思ったが、売り場が閉まっていたので待つことにした。今日もかなり暑い。ラクナウは田舎の駅らしく周りは閑散としており、小さな売店で水のペットボトルで買う。全然関係ない話だが、インドで買うそれ、確実に口ギリギリまで水が入っている。おまけに本体がペコペコなので開ける時零さなくなるまでにかなり時間がかかった。

宿に向かうためにリクシャを使ったのだが、隣のバラナシ駅と違い利用者が少ないらしく、リクシャのおじさんたちによる客争奪戦に巻き込まれた。結局途中でタバコを吸ったりチャイ屋で私たちに奢って他のリクシャドライバーたちと世間話をしに行ったりする自由なおじちゃんに決定。すでに始まっているホーリー(バラナシが一番過激だと言われている)に巻き込まれながら町を進んでいく。リクシャに乗っていようが町の人々はお構いなし。右から左から、次々色水が飛んでくるのである。おじちゃんがガンガンに飛ばしてくれたので酷いことにはならなかったが、宿手前の大通りに到着するころには、ホーリーシャツはすでに完成していた。綺麗だったので洗って持ち帰ることにする。

バラナシは全体的な造りが本当に面白く、いくらでも歩いていられる街だった。水際沿い、町の端が弧を描き、そこから陸地の奥に階段や坂を超えて向かうのである。高低差も激しく入り組んでいる。建物と建物のせせこましい間を抜けると、次々知らない路地が現れる。街中に向かうとこれまた楽しく、たくさんの食事処、布や食器の屋台、果物を売る屋台、たくさんの人で溢れていた。書いていて一層行きたくなってきた……とにかくここは“歩く”という行為にうってつけの街である。

ここで、宿で出会った地球人Tの話をする。彼の国籍は中国だが、様々な言語を操りたくさんの人やモノ、国、人種にまつわる歴史や現状、問題点や素敵な部分を知る美しく聡明な人だった。面白そうな人だな、と思って声をかけたら想像以上で、そのまま話し込み夜ご飯にも連れて行ってもらうことに。Masara Dosa(マサラ ドーサ)という、パリパリのクレープ生地のようなものに水分少な目のカレーが包まれたスナックに初挑戦。食べにくいが美味しかった。彼も私と同じく小さいノートとペンを持ち歩き、様々なこと(教えてもらった単語や興味を持ったこと、たまに日記)を書いており、話が尽きないままガンガーを眺めに散歩へ。

私は英語を意のままに扱えるわけではないので所々時間を必要としたが、Tは我慢強く、時には手助けもしてくれながら言葉を交わし、水際を南へ歩いた。まだ行っていなかった火葬場を超えて、静かな階段に2人並んで月を見た。恋だ愛だなんてものは生まれなかったが、あの時はかなり思考し、そしてそれを共有しながら互いに深いところまで潜っていた気がする。最終的に蚊の大群に襲われ、宿に戻ることになるのだが。あの日のことを思い出すたびに、私の心は凪ぐ。

次の日もまた1人でガンガー沿いをたくさん歩き、ザクロを買って水を見ながら食べたりした。ずっとこの水を見ていたい。あとは宿にいた大学生のお兄さんたちやお姉さんとガンガーへ行き、何人かが泳ぐのも見た。濁っていたがそれは一概に“汚い”と形容するべきものではないと感じたし、その川は思っていたよりもずっと、ずっと綺麗だった。

宿の部屋に遊びにくるヤモリを愛でたり、屋上に出て走り回るサルたちを見たり、ここでの3日は穏やかにしかし速足で過ぎ去っていってしまった。2日目の夜は宿で働く日本人のY(お決まりの仮名)さんと話が弾み、また夜更かし。生き方、周りの人、環境、志、目標、通過点に“初対面でも人として好く人は大抵わかる”という言葉、私はまた私に互換性のある人を見つけてしまった。所詮他人は他(の)人、である………インドに来なければ行こうと思わなかったであろう国や地域がたくさんあるな………

翌日、名残惜しい気持ちを抱えながらバラナシを離れた。また絶対にこの国にくる、と旅の終わりみたいなことまで考えつつ最終目的地、コルカタへ。

続く

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