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ふら、とインドを歩く話 5

ふら、とデリーで秘密基地

ニューデリーに着いて半日と少しが過ぎ突如始まった1人旅。私はまず今後のスケジュールを1から立て直さければならなかった。

今は3/19のお昼。26日のAM2時頃にはここから約1,500km離れたKolkata(コルカタ、カルカッタ)の空港から日本に帰る。ちなみに東京から1,500kmというと、直線でちょっと那覇に届かないくらいだ。そこまでにVaranasi(バラナシ)に寄ってGanges(ガンガー、ガンジス川)も見たい。水が好きなので。となると、そろそろ移動しておかないと慌ただしくなってしまうことに気が付いたので、デリー駅へ寝台列車のチケットを取りに行くことにした。

外国人枠なるものがあると聞いていたのでそれを探す。ちょうどこの時期はHoli(ホーリー、ヒンドゥー教の祭りで色水や色粉をぶつけ合ったりして春の訪れなどを祝う)と丸被りしているため、列車のチケットもかなり取りにくくなっていた。人が多い&みんなのんびりしており数時間かかったが、隣にいたどこかの国の旅おじさまとおしゃべりしていたら、無事20日夕刻出発のものを入手することができた。

あとは今日の宿だ。ふと違う宿に泊まってみたくなったので、“この辺りの宿”とあえて英語で検索してみた。運任せで押して出てきたのは“Ever Green Guest House”。すぐに決めた、なんとなく。とりあえずその宿に向かい………エ、ウワッ……ここは……なんて素敵な建物なの……と運に任せて選んだ宿を一目ですきになってしまった。配色も造りも写真よりずっといい。嬉しくなりながら開け放たれた部屋の中でテレビを見るおばあちゃんに声をかける。

“こんにちは~今日、泊めてもらえます?”

しかし、おばあちゃん、返事なし。聞こえていないのか?

“もしもし、泊まりたいんですけど!”

と、もう一度。少しして“あ~、寝てたわ”と言いながらおばあちゃんは動き出した。寝ていたそうです。再度泊まりたい旨を伝えると、パスポート写真のコピーとお支払いでスムーズに泊めてくれた、ありがとう。なんでも彼女にはバツイチの息子さんがいるらしく、私が日本人だと言ったら“息子は日本語もできるから話してみたらいい”とのこと。そんな会話をしながら部屋に案内してもらう。

部屋も想像以上に快適そうだが何より素敵なもの。それは私の部屋へ続く階段の配置がもつ、そこはかとなく香る秘密基地の雰囲気。ホテルであるこの2~3Fは屋根がない。ここを上がって左に曲がると私の部屋がある。屋上には共同の洗濯物干しロープ…私も屋上に吊るしたロープで洗濯物を乾かしたい……

 素敵宿に満足しながら周りを散策、夜ご飯を食べようと思い入った食堂で、私はPotato Parantha(ポテト・パラサ)とLに出会う。何を隠そうポテトパラサこそが“インドお気に入り粉ものサイドメニュー”部門第1位の座に君臨されしお方だ。

これがパラサ。ふんわり香るじゃがいも風味に心地よい粉もの感、ピリッと辛みのアクセントでそのまま食べるのも捨てがたい、素晴らしいメニューである。まだ作ってみてはいない。

Lは、“謎のインド人L”。私がこの食堂でパラサに感動していると、

“相席いい?”

と大して返事も聞かずに座り込んできたのだ。誰……と聞いたら自己紹介してくれたが、正直あまり覚えていない。デリーで働いている30代、彼女なし、だったかな……色々話したので忘れてしまった。彼の故郷であるHimachal Pradesh(ヒマチャル プラデシュ)の話、ホーリーをみるときの注意点、日本の話や恋愛観の話など。なかなか面白い人だったので楽しかったが、帰り際には連絡先を交換した後しっかり口説いてきた。ごめんなさいをして1人で秘密基地に戻ります。さようなら。

 翌朝起床して宿のおばあちゃんに挨拶しに行くと息子さんとご対面。昔日本の女性と結婚されていたらしい。ぽつぽつインドや日本の話をしている中で、私がずっと探している素敵なストール屋さんへ連れて行ってもらうことになった。ここで初のスクーター。後ろに乗せてもらったんですけどね、もう、怖いの。インドの市井をスクーターで進むのは。みんなずーっとクラクションを鳴らしながら狭い歩道も人通りの多い道も逆走車がいたってお構いなしでズンズンゆくのですよ。お店に着くまで冷や冷やし続けていた。素敵なスカーフは無事買えたが、スクーターで移動した記憶のほうが濃く残っています。


お昼ご飯にはポテトパラサだけを数枚食べ、余裕をもってニューデリー駅へ。大きくて鉄骨構造の美しい構内を散策しながらPM6:55に出るNo.12600の掲示板表示を探す。一度見つけたがインドの列車は数時間の遅延も当たり前、しばしばプラットフォームさえ変わると聞いていたので、地域名などを正確に聞き取れない私は駅員さんやその辺りの人に聞きながら待つ。インドのお母さんたちと話しているとその後案の定乗り場が変更されたが、出発は定刻であった。乗り遅れそうになったくらいだ。

列車内はある程度空調も効いており、人との距離は近かったがそれが面白い。初めての寝台列車に胸を躍らせていると、家族連れが席順で困っていた。席やベッドの段にこだわりはないので交換したところ、なんと隣が日本人のお兄さんであった。驚き合って話してみると行き先が同じとのことで、駅からもリクシャを折半して向かうことになった。美味しいカレーを食べ、正面に座っていたおじいちゃんとも少し話し、おやすみなさい……確かこの時は、簡易ベッド3段目、一番上だった気がする。

追記 謎のインド人Lからは、いまだにメッセージと電話のお誘いがある。初めての真実の愛だったらしい、彼曰く。

続く


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