【4年間の大学サッカーを振り返って】 4年 木村翔流
こんにちは。
今回noteを担当させていただきます。昌平高校出身4年の木村翔琉です。
ここでは大学サッカー4年間の振り返りを書き残したいと思います。拙い文章ですが読んでいただけたら幸いです。
高校時代、私は一度もトップチームに上がることができず、公式戦には関われないまま、3年間スタンドから応援する立場でした。その悔しさが私の原動力となり、大学では絶対にトップチームで試合に関わりたいという強い思いを持って入部しました。
1年目は前期こそトップチームで練習することができましたが、公式戦にはiリーグでの出場が中心でした。後期からは2ndチームでの練習が主となり、iリーグで試合経験を積む日々。結局、トップチームで試合に出ることは叶わず、悔しい1年目が終了しました。
2年目はトップチームからスタートしましたが、交通事故に遭い、3か月間離脱を余儀なくされました。復帰後は2ndチームで練習を重ね、試合勘を取り戻しながら成長を目指しました。しかし、トップチームで練習できたのは最初の数ヶ月と参入戦の時期のみ。参入戦でわずか5分間出場することができたのは、小さな成長を感じた瞬間でしたが、試合に絡めなかった悔しさが残るシーズンとなりました。
大学サッカーも残り半分となった3年目。この年、参入戦を勝ち抜き、チームは関東3部リーグで戦うこととなりました。開幕から3節まではメンバー入りしたものの、試合に出ることはできませんでした。しかし、4節目を迎える週からセンターバックではなくアンカーとして練習を開始。その結果、東京学芸大学戦で初めてトップチームの公式戦にスタメン出場することができました。3年目にして迎えた初スタメンの嬉しさと緊張は、今でも忘れられません。その後のリーグ戦でも試合に出場し続け、充実した1年を過ごすことができました。
迎えたラストシーズン。楽しみながらも全力でやり切ろうと意気込んでスタートしましたが、開幕戦と第2節ではベンチ外となりました。自分のコンディションを見つめ直し、試行錯誤を繰り返した結果、第3節からスタメン復帰を果たしました。しかし、7節目で再びスタメンを外れると、そこからコンディション不良に苦しみ、出場機会を失いました。その後、怪我や教育実習による離脱もあり、思うような形でシーズンを終えることはできませんでした。それでも、この1年を含めた4年間は、私にとってかけがえのない経験であり、成長できた時間でした。
最後に、平成国際大学サッカー部での4年間は、多くの人々の支えがあったからこそ続けられたものです。監督、コーチ、チームメイト、そして応援してくださった方々に心から感謝しています。家族にも感謝しています。今まで何不自由なくサッカーを続けてこれたり、試合を観に来てくれたり、どんな時も支えてくれたりと、たくさんの力をもらいました。
まとまらない文章でしたが最後まで読んでいただき、ありがとうございました。これからも平成国際大学サッカー部への応援をよろしくお願いいします!